月花は憂う

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「……って、」  槙田がおもむろに離れていっても、俺は自由を奪われたまま。  瞬き一つできなくて。  熱くて、苦しい。  凍りついてしまったようで――そのくせ、身体ごと炎に変えられてしまったようでもあって。  やがて、吐息混じりの囁きを聴く。 「呼んだらこうなるのか。少しずつ慣らしていかないとな……」  一々こんなの見せられたら、こっちがもたない。  より独り言めいた響きで続けてから、そっと頭を撫でてきた。  そしたら魔法がとけたみたいに、ぎこちなくだけど呼吸ができた。 「……まだ、赤いな」  しばらく撫でて、ひたすら優しく撫でて――悔しいことに俺を落ち着かせてから、吐息まじりにリン、と鳴る。 「何か飲んだ方が良いですね」  自分のせいだとわかっているくせに。槙田は髪を愛でていた手で、テーブルからメニューをとった。  飲み物のページを開いてみせられたけど、お冷やでいい、とそっぽを向く。  猫みたいにしなやかに動く奴だから、目を逸らしているうちに横からいなくなっていることは結構ある。  がちゃ、という音に思わず顔を向けると、槙田はいつの間にか入り口のそばで、受話器を耳に当てていた。  俺にとってはもはや胡散臭いものでしかない爽やかな声音。  注文したのは、ミルクティーと烏龍茶だった。  リモコンとカゴをたずさえて隣に落ち着くなり、ド変態は質問攻めを開始した。  まず、特別好きなアーティストはいないことを聞き出された。  そして、カラオケにはめったに来ないし、ほとんど歌わないことを白状させられた。  来たら聞き役に徹すること。  どうしても歌うよう求められたら、これなら分かるかな、という歌を歌うこと。  けど、タンバリンを叩くのに集中していたら、リモコンを渡されるのを大体は回避できること。タンバリンは来る度に決まって押し付けられること――  そんな岩武たちとのカラオケ風景をやけくそで暴露すると、槙田は口元をおさえてぷるぷるしだした。  ムッとして――でも、何だか頭がふわふわしていて怒鳴る気になれず、壁の注意書きに視線を逃がす。と。 「気が利かなくてすみません。今からでも貰ってきましょうか、タンバリン」 「……いらねえ」  どうして、と思う。  どうしてこんなふざけた野郎に名前を呼ばれて、  ――呼ばれるだけで、俺は。
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