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妖艶に波打ったロングトーンに、きゅう、と胸の深くが締め付けられる。
以前後輩の女子が歌っていたのを思い出せば、これで曲はおしまいだ。
それでも都会の雑踏を背景に、ふたたび文字が浮かび上がらないかと、どうしても期待してしまう。
生憎、美しく調和した和音を鳴らしたきり、スピーカーは黙りこんだ。
余韻と名残惜しさに、酒に酔ったみたいな――ずいぶんと久しい感覚に陥る。
画面がPR映像に切り替わっても、ぼーっと眺めたままでいると、
「はい」
視界に何かが割り込んできた。
「先輩の番です」
どうぞ、と揺らされたそれはマイクの頭。
まじまじと見つめた末、力を込めずに押し返した。
「……俺は、いい」
「駄目です。先輩の歌も聴きたい」
優しくたしなめるようでいて、悪戯っぽさも含んだ調子は、なんだか槙田らしいと思う。
この男が大人なのか子供っぽいのか、俺にはよく分からない。
ずっと避けていたその顔へ、おずおずと目線だけ持ち上げた。
驚いたようにかすかに見開かれる瞳。
――ほら。やっぱり、分かんない。
「……もう一曲、聴いてからが良い」
俺は乞う。
「もっと、お前のが良い」
長い睫毛がふる、と震えた。
手に触れていた冷たい感触も引いて、はっとする。
先ほど反省したのに、また物凄い我が儘を言ってしまった。
学習能力が無さすぎる、というより、今日はどうかしている。
「、わかった、歌う……けど俺レパートリー少なくて、途中から合唱曲とか」
しどろもどろに取り繕うのを、名を呼ばれて制された。
「それじゃ、二択にしましょうか」
二択。
繰り返して瞬きすると、槙田は、子供じみた雰囲気の色濃い微笑を浮かべて。
「先輩、俺にキスしましょう。そしたらお望み通りにします」
それが嫌なら、と続けたけど、
言い切る前に肩に触れた。
躊躇いに視線を逃がした先で、マイクが孤独にゆらゆらしていた。だけどすぐに、狙いを定めにかかる。
条件を提示されたら。
満たせば、我が儘じゃなくなる。
――どこに、とは言ってねえから、
暗がりで仄かに光って見える、真白い頬に、淡く口づけた。
案外すんなり出来てしまった自分の浅ましさが恥ずかしくて、目元にまた熱が集うのを覚える。
でも、約束は約束。
瞳を覗きこみ、
「……槙田。もっと」
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