月花は憂う

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 と。 ――え、  驚きに瞬く。  周囲の闇まで吸うような黒髪が、反動にゆるりと揺れた。  向けられた後頭部を、ぽかんとして眺める。  逃げるように顔を逸らされてしまった。  だから確かめられないけど――どんな恥ずかしい台詞を並べ立てようと色の変わらない奴の頬が、 ――赤くなった、気がしたのに。  呼び掛けようと唇を開くと、先手を打つように、わかりました、と返る。  あ、これ全然わかってないやつだ、とピンとくるタイプの。  案の定、 「もっと激しくいじめられたいんですね。把握しました、今日は夜通し弱いとこ責め立ててあげますから、楽しみにしていてください」 「う、……話すりかえてんじゃねえよ、つーか変態トークで誤魔化して、さっきの話ナシにするつもりじゃ」 「まさか。可愛いキスの対価になるように、ちゃんと歌いますよ」  ふたたび曝された横顔は、もう、真白いだけだった。  だけど――と、タッチペンを操る様を窺いながら思う。  心なしかいつものセクハラ文句が、危うげに揺らいでいたような気がした。  俺を気にせず好きな曲を。そう求めた結果、2曲目は先ほどのスローバラードとはうってかわって、軽快な曲調のポップスだった。  ただし、歌詞はすべて英語。  序盤では見事な歌唱力と英語の発音に、ただただ度肝を抜かされて。  次第に、感嘆も忘れて惹き込まれた。  言葉を一概にさらりと流すように淡白な歌い方が、恋人への想いを紡いだ重厚な歌詞と奇妙に調和していた。 「バラードばっかり聴かせてた気がするので、こういうのもどうかな、と思ったんですが」  曲が終わり、すっかり惚けていた俺は我に返って、槙田の方を見て。 「お気に召しましたか?」  そう艶美な微笑みを象る――今度は、さっきとは反対の左頬。  不意打ちで口付けた。 「……っ」  あ、と思った。  今度は気のせいなんかじゃない。 「……あんた、ミルクティーで酔うんですか?」  口許は微笑んでいながらも、目は半分の大きさまで細めた、睨むような表情。  だけど肉食獣の獰猛さは、いまは覚えない。  いつも俺ばかりが赤くなったり、怒鳴ったり、恨めしげにねめつけたりしているから。  やっと振り回せているみたいで、嬉しい。 「かもな」  俺は笑い、 「いまの、アンコールな。条件はまだ適用だろ?」  もう一曲、とねだる。  なんだか、楽しくなってきた。
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