ロストワン

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ヒューという、表現がこれほど似合う展開もないだろう。神田は鍋島のガードの隙間から、教室の惨状を見て、音もなく後ろに倒れたのだ。そんなときでも人形だけは決して手放さないで、ただ、真後ろに倒れた。ゴンッと嫌な音が響き、固定された空気が一気に弛緩する。 「気絶してるわね」 と、神田の現状を端的に言い表すとこれだけですんでしまう。死体を見て気絶するなんてどうしようもなく、ベタな展開だった。 「いやいや、加藤さん。気絶してるわねじゃないでしょ。とにかく、神田さんを保健室に運んで、先生にこのことを伝えるべきでしょ。矢島さんも手伝ってくれない? 加藤さんは先生に連絡してきて、湯川さんたちにもね」 鍋島が、神田の方の辺りを抱きかかえ、矢島がしぶしぶと言った感じで手伝う。はぁ、面倒なことになった。ズルズルと両足を引きずりながら連れて行かれる神田の後ろ姿を見ていると、私も気絶してしまえばもっと楽になったかもしれないけれど、たぶん、無理だろうなとその直後に諦めにも似た気持ちになった。 改めて教室を覗き込むけれど、湧き出てくるべき感情が出てこない。可哀想だとか、誰がこんなことしたんだとか、ヒドいと憤慨する気持ちもない。 非現実的で、現実から乖離し過ぎていて現状を受け入れられてないと言い訳できるけれど、程よく無関心でいる自分がそこにいた。自分に危害が及ばないのなら、他の人が問題を解決してくれるなら、私には無関係だし、何かができるわけじゃない。そう思いくるりときびすを返し、コツンと足元にぶつかる物があった。神田の継ぎ接ぎ人形だ。 抱きかかえたさいに、落としたのだろう。ここで放置してしまうと、探しにきてもう一度、死体を見た神田が気絶するという負の連鎖が繋がってしまいそうだし、これがないと騒ぎ立てられても困る。めんどくさそうなことがあったのにこれ以上に負債を抱えたくない。拾い上げようと身を屈めると、教室の扉の隅っこに隠すように置かれた手紙を発見した。 「…………?」 真っ白な紙に書かれた文字を読む。走り書きというか、意図的に筆跡を崩している感じだった。 「アインズヴァッハの門に気をつけろ」 アインズヴァッハの門、その言葉に思い当たる節もなく、ただ、このままにしておくわけにもいかず私は神田の人形とまとめて持って行く。 ため息をつく、めんどくさいことになった。 無駄なエネルギーを使わせてくれないでほしい。
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