第1章

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消えたチップ 薫は、 「色気と色香は違うのよ。 私達が売るのは色気じゃなくて色香なのよ。」 とも言う。 確かに色気と色香は違うものである。 色気にはなまめかしい匂いがある。 一方色香には汗の匂いを感じさせない乾いたイメージがある。 好みの問題だといえばそれまでたが、男としてはやはり清潔なイメージの色香だけではつまらないというのが本音だろう。 色気と色香が渾然一体となって目の前に表れた女こそ、男心をそそるというものだ。 百合子ママと薫ちいママは、あまり相性がよくなかった。 当然薫とつるんでいる久美も一緒になって、 「前のママの方がよかったな。」 などと、平気で皆の前で言う。 百合子ママは、最近Tに入ったばかりで、潤平とユナ以外は前のママがいたときからのホステスだった。 百合子ママもかなりやりにくかったこともあったに違いない。 そのため、潤平を雇って自分の直属の従業員を置きたかったという事情もあった。 その後に入った韓国人のユナは、マイペースで誰とも組みしなかったが、潤平のかつらを気に入って取り上げてしまった。 ママがそれを知っていて、返すように言ったものだから、ユナは渋々かつらを返した。 潤平は、コミック役でお笑い担当だったが、百合子ママがたまに気まぐれにマリリン・モンローのような金髪のかつらをかぶせてモンローメイクをすると、たちどころに可愛らしく変身した。 どれだけ変わったかというと、前から来ていてよくイクラと喋っていた客が、モンローメイクをしたイクラの前に座ったとたんに全く喋らなくなってしまった。 前はあんなに色々しゃべってくれたくれたお客が急に黙りこんでしまったので、潤平はつまらないと思い、 「どうして急に喋らなくなってしまったの。」 と聴くと、 「僕は綺麗なひとを前にするとしゃべれなくなっちゃうんだ。」 といった。 同じ人間なのに、メイクで相手の態度がここまで変わるとは思いもしなかった。 マリリン・モンローの姿で店に出ると、お客はチップをはずんだ。 野口英世ではなく、福沢諭吉である。 そんな時、先輩のお姉さん方は、 「かわいい、かわいいイクラちゃん。」 と耳元でささやいてはすごい目で睨みながら歯軋りして離れていった。
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