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走って、走って、ひたすら走った。
二人の男たちは一向に撒ける気がせず、むしろはるとの距離はもうほとんどない。
半ば諦めかけたはるが通りを右折したその時だった。
「おっと、」
「いったぁ……」
人と衝突したらしく、はるは鼻頭をおさえる。
しかし、今はぶつけた鼻のことなど気にしている場合などではない。
それに気付くのが遅れてしまった。
男に背後から乱暴に髪を引っぱられる。
「この妙な女、手間かけさせやがって……」
「痛いっ、ちょっと、やめてよ!」
振り払おうとするも男の力は強い。
なんで自分がこんな目に合っているのか。
わけのわからない現実についにはるの目から一筋の涙が零れ落ちた。
「役人さん方、僕の恋人に手荒な真似をするのはやめていただけませんか?」
よく通る落ち着いた声だった。
それでありながら男たちへのはっきりとした怒りを含んでいる。
その声の持ち主は先程はるがぶつかった者であった。
何が何だか理解ができず、はるは思わずその者を凝視する。
藍色の高そうな着物に身を包んだ立ち姿の美しい長身の男だった。
きりりとした眉とは対照的な優しげな垂れ目、すっと通った鼻筋、一文字に結ばれた唇。
漆黒の髪はてっぺんで一つに束ねられ、毛先が肩の辺りで揺れている。
その容姿は女のはるでも見惚れるほどのものであった。
見目麗しいその男は役人からはるを奪い返すと抱きすくめた。
「怖かったでしょうに。もう大丈夫ですよ」
はるの頭を撫でる手付きが酷く優しい。
男の腕の温もりが今のはるには心強かった。
しかし、役人二人は一歩も退かず追求する。
「こんな怪しい奴の恋人とあっては貴様の正体も知れぬというもの! 貴様も同行を、」
男は憤然とする役人の語尾を攫った。
「失礼。申し遅れましたね。僕は長州の桂小五郎と申します。そして彼女は我が長州が誇る優秀な女性。異国帰りでこのような格好をしているだけです。何か非礼があったなら僕が詫びましょう」
一礼し、はきはきとそう言い放った男に役人たちはみるみるうちに驚愕の表情を浮かべた。
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