プロローグ

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    例えば目の前に置いてあるトマトの外見を言葉で言い表せと言われたとき、どう答えるか。 多くの人が赤くて丸っこいと答えると思う。     だったら「赤い」と「丸い」とは何かと詳しく聞かれると、ほとんどの人は答えられず、言葉を詰まらせるに違いない。     赤という色は当然のようにこの世界にあるけれど、その「赤」とは一体何だろうか?     僕が見ている「赤」と他人が見ている「赤」は、本当に一緒の色なのだろうか?     同じように「丸い」という形は、本当に丸なのだろうか?     もしかして僕が見ている「丸」は他人にとっての「四角」なのではないだろうか? 「赤」と「丸」だけでも、他人と自分の感じ方に違いがあるかも知れないのに「価値観」や「常識」というものはもっと曖昧で疑わしい。 僕が正しいと思うことは他人にとって必ずしも正しいことじゃなく、僕が好きな食べ物を他人が同じように好きだとは限らない。 つまり何が言いたいのかと言うと、僕が感じているこの世界は、他人と共有出来る代物じゃないってことだ。 煩わしいことばかりの世界で、僕が他人に合わせて生きる必要性など何処にもない。 それなのに世間体だの、付き合いだのと、僕の周りの人間は、僕に周りと協調するように求めてくる。 自分達の「価値観」や「常識」をさも当然の基準のように位置付け、僕をその枠組みに押し込めようとする。 勿論、僕と彼らの世界は実際に共有出来るものなのかも知れないが、それを確かめる術は何処にもない。 何処にもないのに、彼らは僕に当たり前のように関わろうとしてきて、それが僕には非常に疎ましく思える。    
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