神戸生まれのキジムナー?

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 嵐山をキジムナーと評したのは、何も陸攻とユリネだけではない。 当初の計画とは全く異なり、嵐山そして三本刀を率いて京都の地を踏んだ田島陽光もまた、嵐山をキジムナーと呼び始めていたのだ。 当然嵐山は苦笑するしかない… 「さて、キジムナーとサムレー諸君に問題だ。 これから俺様は、一体どこに行こうとしていると思う?」 京都駅から少し離れた宿の一室で陽光。 当然三本刀が顔を紅潮させながら即答する。 「まさか… 池田屋でございましょうか田島殿!」 「池田屋? という事は… 新撰組の残党共と一戦交えるのでございますな!」 「おお、流石は足軽頭様の兄上。 坂本殿の弔い合戦の機をお与え下さり、この中島小十郎真之感謝の極みにございます首里之守様。 見事首里之守様の御期待に応え、存分に働いて御覧にいれましょうぞ!」 布袋に納めてあるとはいえ、それぞれの愛刀… 村正・備前長船・胴太貫(どうたぬき) …の柄に手をかけながら三本刀。 嵐山は内心 (…せやからあかんて言いましたやろ田島さん) と仄かに陽光を恨んだのだが、当然それは遅きに失していた。 それを知ってか知らずか、陽光は三本刀をまあまあと諭しつつ口を開く。
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