其之壱 ヤカンヅル

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 突然だが、木の枝にヤカンがぶら下がっていたならば皆さんはどうするだろうか?  俺だって好きでこんな疑問を投げかけているわけではない。しかし、仕方がないのだ。現に目の前でそのような状況に直面しているのだから。  春。桜舞う始まりの季節。入学式を終え放課後を迎えた俺達新一年生を待っていたのは、玄関から校門までの間を埋め尽くす部活動勧誘ラッシュだった。 「来たれ野球部! 目指せ甲子園!」 「レッツエンジョイ! テニス部!」 「茶道部でーす。茶菓子食えまーす」 「軽音部です! バンドは女子にモテる!」  勧誘に熱心な部活もあれば、適当に流している部活もある。それぞれ個性があって大いに結構。だが残念ながら、俺はどの部活にも所属するつもりはない。  非活動的? いやいや、これでも高校入学を機に単身東京からこの町へやって来た身だ。炊事洗濯掃除にバイト。やることは山積みで部活に勤しむ時間はない。  そういうわけで、俺は降りかかる青春の活気を潜り抜け校門へと向かって行く。  ヤカンを見つけたのは、校門を出る直前であった。  生徒を出迎える位置に聳えるのは、一本の立派な桜の木。満開に咲き誇るそれに目を惹かれない理由はない。その時、幾重にも広がる枝の先端にヤカンがぶら下がっているのを見つけた。  金色に輝くボディ。湾曲し伸びている口。黒いノブの付いた蓋。そして枝と本体とを繋ぎ止める持ち手。俺はそれを見てヤカン以外の物を思いつかない。  とは言っても、俺は生まれつき視力が弱い。物心ついた日からメガネを装着して生きてきた生粋のメガネ野郎だ。近付いてもう一度よく確認してみよう。うん。ヤカンだ。  このヤカンには一体どんな意味があるのだろう。俺がやって来たこの町には、新入生を出迎えるためにヤカンを吊るす風習でもあるのだろうか。世の中に奇妙な風習は無数に存在するのだから、そうであっても不思議ではない。何せ、俺はこの町のことをまだ何も知らないのだから。 「……下まで行ってみるか」  誰に言うでもなく呟き、俺は桜の下を目指す。真下から見上げれば、ぶら下がっている理由がわかるかもしれない。まあ、わかったところでどうもしないのだけど。
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