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桜にヤカンというミスマッチな光景を眺めながら、一歩また一歩と真下へ近付く。――と、急激に空が遠退いた。何事かと考える隙も与えず、落ちてきたヤカンが俺の頭に直撃しいい音を鳴らす。
「……マジか」
ズレたメガネを直し、状況を整理する。どうやら俺は落とし穴に落とされたらしい。おまけに落とし穴は釣り糸のようなもので上部のヤカンと繋がっていたようで、一昔前のコントのような有り様になってしまった。
なるほど。あのヤカンは落とし穴へ誘導する囮だったわけか。真新しい学ランが台無しだ。これを作ったのが例え先輩だとしても、俺には文句の一つでも言ってやる権利があるだろう。何処のどいつだ。
「捕獲完了!」
犯人と思しき奴がノコノコやってきやがった。姿は見えないが、声を聞く限り女性である。俺はてっきりヤンキーから新入生への洗礼か何かかと思っていたのだが、そうではないようだ。
やがてひょっこり穴の上から顔を覗かせる声の主。セーラー服を身に纏い、黒髪の長いポニーテールが重力に従い俺に向けてだらんと垂れている。
瞳は茶色で大きく、初見で活発そうなイメージを受けるほど目がギラギラと輝いていた。犯人と思われる少女は少しの間俺を観察するかのように繁々と眺めると、満足そうにニパッと笑う。
「妖怪研究同好会への入部希望者だね!」
そして、意味のわからないことを言った。
◇
鳥取県。
中国地方に存在する五県のうちの一つで、よく隣の島根県と位置を間違われる。実際月に数回入れ替わったとしても、気にする者はいないだろう。
総人口は県全体で東京都の八王子市よりも少ない。こうして比較すると、都民がどれだけ窮屈な暮らしをしているのかがよくわかる。
県の形は日本海沿いに細長く、良く言えば獲物に飛びかかるライオン、悪く言えば道路で轢かれた猫のような形をしている。いずれにしても、その尻尾の先端に当たる部分が俺のやって来た町・境港市(さかいみなとし)だ。
総人口約三万五千人。漁業の盛んな港町で、中でも冬に収獲シーズンを迎える地域ブランドのズワイガニ・通称松葉ガニは絶品とのこと。財布と相談し許可が下りるようであれば、一度食べてみたいもんだ。
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