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「あなたの部屋に飾ってあった恋人の写真、見事に咲いた月下美人の鉢植えを抱えてました。さきほど仲居さんにお聞きしたら、康子さんは月下美人が好きで、毎年開花するのを楽しみにしていたそうですね。あなたと一緒に見るのを」
服部が写真を見た時に、それが月下美人だとはわからなかった。
もとより花に興味はないし、桔梗の間に置かれていた月下美人はまだ咲いていなかったから写真とは異なって見えた。
だが、あのモヤシのようなものをどこかで見たのを思い出し、仲居に聞いてみたところ、写真の花は月下美人だと教えてくれた。
「あの花がいつ咲くのかなんて、何か月も前にはわからない。あなたにとっては運悪く今日咲きそうだということが分かったが、部屋は満室で他に客を移すことができなかった。
だからあなたは夜中に忍び込むために我々に酒をふるまい、正体をなくすほどグデングデンに酔わせたんでしょう」
服部が言うのを、若旦那はジッと大人しく聞いていた。
先ほどとはうって変ったように落ち着きを取り戻している。
しばらく静寂が続いたのち「その通りです」と穏やかな声で言った。
「彼女の幽霊が出ると噂になってから、三度目の時に私もついに見たんです。偶然だったけど、二年前の八月の夜中、あの部屋に入っていく薄っすらとした彼女の姿を見かけて……。
私は嬉しかったんです。たとえ幽霊だろうと彼女に会うことができたのが」
若旦那は、ふぅっと大きく息をはいた。
「しかし母に言ったところ、私が少しおかしくなったんじゃないかと心配してしまいました。おまけにそんな噂を従業員がしていて、万が一お客様に聞かれでもしたら大変だと。だから普段、あの部屋は使わずに御札が貼られてしまいました」
「でも御札は効いてないようですね」
服部が言うと、若旦那はふふっと笑い
「そりゃね。私が偽物の御札とすり替えましたから。だって私は彼女に出てきてほしいんです。でも時々、母が確かめているようだから剥がすわけにもいかなくて」
そう言って、一度は断った煙草を所望してきた。
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