揺れる心

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そうした長野と薫を、やり切れない想いで、見つめていた人物がいた。 彼は、2人と反対側の個室で恩師と食事をしていて、偶然見かけてしまった… 彼は、京都市内にある沢村が、施設長をしている高齢者施設に勤める内科の医師で、その上薫に想いを寄せていた… そのことを薫は、まだ知るはずもない。 その頃、ライトパープルのプリウスは、春霞に煙る高層ビル街を抜け、海岸通りを走っていた。 車に乗り込んでから、長野は一言も話さない。 薫も、どのように話しかけたらいいのか?読み切れないまま、バックミラーに消えていく東京のネオンの海に、虚(うつろ)な視線を向けるしかない… 【わたしが、答えられなかったので、機嫌を損ねてしまったのかな…】【もしそうなら、謝らなきゃ…】 薫は、沈黙を破るかのように、口を開く。 「あの…長野さん…ごめんなさい!」 「お食事をごちそうしてくださったのに、まだお礼も言っていなかったですね…」 「えっ!」「どうして謝るの?」 「あの店を出てから、ずっとお話されないので、怒らせてしまったのかな?って思って…」 「ごめん…気にしていたんだね!」「僕は怒っていないよ…安心して」長野は、交差点で停まった時、薫に眩しいほどの笑みで振り向く。 「今から行く場所は、初めてなんだ…」 「ナビに入れてあるけど、迷わないか?と心配でね…」 「そうだったんですか…よかった…」薫は喘ぎながら、涙を零した。 薫が見せた涙に一瞬、ビクッとした長野だったが、そのことが彼の迷いを消した… 窓から差し込んで来た三日月の光に照らされ、さんご色の口紅が薫の肌をいっそう白く滑らかに見せている… 桜色のコートを着ていても、豊かな胸と細いウエストに続く肢体に、そそられていく… コートを脱いだ時に見た薄紫のシルクのブラウスから、シルバーのピアス、肩にかかるくらいの黒髪、ふっくらしたさんご色の唇まで、ゆっくり視線を這わせていくと、【待つかいのある女性】だと直感できる… 長野が熱を帯びた眼差しを向ける度に、そっと触れる度に、それに応えるように、彼女の体の奥に炎が燃え始めていた… その有り様を、今夜長野は、はっきりと確かめることができた。
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