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大学時代はバイトと勉強とバンドの掛け持ちで、忙しかった記憶しかない。幼なじみのまさやんは理工学部、俺は経済学部でそれぞれ頑張っていた。
まさやんは三足のワラジを器用に履きこなして、有意義なキャンパスライフを謳歌しているのに比べて、俺は大学をサボってばかりだった。大好きなバンドと、生活がかかっている関係で掛け持ちしているバイトに精を出し、そのツケが年末のクリスマスプレゼントとして、教授からごっそりと渡される。
「他の学生は3種類のレポートだが、君は7種類ね! 締め切りはクリスマスまでだから頑張るように!」
と言い渡されてしまったのである。稼ぎどきの年末がこのレポート作業で、パーである。すべて自分が悪いのがわかっているだけに、んもぅあとの祭り状態。
泣く泣くたくさんの資料が入ったカバンを抱えて、行きつけのコーヒーショップに行く。
中学高校時代なら、まさやんに泣きついている場面なれど、学部が違うだけに無理な話だった。このことがバンドの先輩方にバレたら、間違いなく袋叩きにされること間違いなし!
半泣きになりながら、格闘すること1時間あまり。正直一向に進んでなかった。ちょっとしか埋まっていないノートパソコンのモニターを、茫然と眺めてしまう。
そんな俺のテーブルに、なにか飲み物が置かれた。
「あの、頼んでませんが……?」
置いてくれたウェートレスに言うと、その人は柔らかくほほ笑んだ。
「難しい顔して考えてばかりいても、全然進まないわよ。甘い物でも飲んで、リラックスしないとね」
(目の前の悲惨な現状を、俺の顔をじっと見つめて指摘されてもな。しかも、こんなことをしてもらう義理はない。それに甘い物は苦手なのに……)
「申し訳ないですが、甘い物はちょっと苦手なんです」
やんわりと言いながら、置かれたカップを自分から離した。そしたらなぜかウェートレスがわざわざ俺の手元を覗き込み、楽しげに瞳を細めながら苦笑いをする。
「これって理工学部の、谷村直樹教授からの宿題でしょ?」
ズバリと言い当てられたそのセリフに驚いてしまい、声が出せなかった。
「私も理工学部だったの。アナタと同じように目をつけられて、たくさんのレポートを提出したわ」
そう言って資料とペンを手に取ると、何かを勝手に書き込みはじめた。
突然のことにアホ面丸出しで、目の前の状況を見つめることしかできない。ウェートレスの胸元に付いてる名札を見ると(中林)と書いてあった。
切れ長の目元に通った鼻筋、さくらんぼのような綺麗な色した唇――整った顔立ちを彩るかのような見るからに柔らかそうで、サラサラな黒髪が印象的な人。身長は女性にしたら少し高めの、165センチ前後な感じに見える。
ぼーっと見つめていると、中林さんがこっちを見た。キレイな瞳とバッチリあったせいで、急にドギマギする不審な俺の手に、資料を渡してくれる。
「線を引いた箇所を中心に調べてまとめれば、それなりのレポートが仕上がるはずだから。しっかり頑張りなさい、泣き虫くん」
笑いながら言って、持ってきた飲み物をさげようとした。その手を思わず掴んで、強引に引き止める。
「折角作ってくれたんですから、飲みます……」
触れた手の甲のあたたかみを感じてしまい、語尾が小さくなってしまった。
「そのココア、甘さは控え目にしてあるから。いつもコーヒーはブラックでしょ?」
「コーヒーがブラックっていうの、ご存知なんですね?」
俺の手を振り解き、去って行こうとする彼女に声をかけた。
「髪の長いお友達と一緒によく、ウチに来てるでしょ。アナタ達、特に目立ってるから」
柔らかくほほ笑みながら一礼して、その場を後にする。髪の長いお友達はまさやん。ライブの練習前にここによく立ち寄って、話し込んだりしている。
カウンターを見ると、接客している彼女が見えた。優しいほほ笑みが荒んでいた俺の気持ちを和ませていく――明るい声での応対を見ているだけで、胸がドキドキした。
彼女のおかげで、期日内にレポートは完成したので、後日きっちりとお礼を言ったのだが。
「いつも来店していただいてるお礼です。お気遣いなく」
なんていう、素っ気ないひとことで終了したのである。俺としてはもっと盛りあがりたかったというのに、肩透かしを食らった気がしてならなかった。
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