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「変なコトしようとしたら、追い出すから」
叶さんに先手を打つ形で、キッパリと釘を刺された俺。だけど好きな人に手を出さない男なんて、実際いるだろうか。
複雑な心境を抱えながら、こっそり叶さんの横顔を見る。
この間逢ったときとは違う、香水の薫り。ラフな服を着てるだけで、お店で見たときと雰囲気が全然違う。サラサラな黒髪をタイトにまとめている様子も、キレイな顔がはっきりと見えるのでもう……。
(ぬおぅ 、俺の欲情を掻き立てるには充分過ぎる材料だろ!)
平静を装いつつ、心の中でひとりで身悶え、頭を抱えた。
俺が孤独にいろんな欲情と闘ってる間に、叶さんの自宅に到着した。マンション三階、鈴のキーホルダーが付いた鍵を扉に差し込む。
色の白い手、細長い指……すべてが綺麗すぎるっ!
やがて扉が開かれ、「どうぞ」というひとことと共に中へと促された。
玄関の扉が閉じた瞬間、目の前にいる叶さんに、思わず抱きついてしまう。
(――叶さん好きです、大好きなんです!)
後ろから抱きついているので、叶さんがどんな顔をしているか、まったくわからない。声にならない想いが力に変換されて、ぎゅうぎゅうと叶さんを抱き締めてしまう。
「…………」
(――あれ? なにも言わない、抵抗もされない)
逆に、されるがままになってる叶さんに不安を覚える。まるで、嵐の前の静けさと言えよう。
この時点でやっと我に返り、放り出す勢いで叶さんから手を退けた。するとチラリとこちらを一瞥し、何事もなかったように家の中へ入って行く。
(なんだろ、今の視線。とても哀しそうな目をしてなかったか? もしかして俺が泣かせた?)
みずからやらかしてしまったことに、勝手にショックを受けたら、中から怒号が響いた。
「いつまでそこにいるつもり? マジで追い出すよ」
さっきとは打って変わり、怒っている叶さん。あの目は、見間違いだったのだろうか?
「お邪魔します……」
おずおずと中に入る。リビングに入ったら、強引に手渡されたマグカップ。
「粗茶ですが、どーぞ」
中身は日本茶だった。マグカップに日本茶? なんて不思議に思い、物言いたげな顔で叶さんを見た。
「うちにお客は来ることがないから、マグカップは湯飲み仕様なの。もっぱらこのスタイル」
そう言って美味しそうに、熱いお茶をすする。
「そこに座ったら?」
窓辺に向かいながらコタツを指差してきたので、言われるままにちょこんと座った。
「いただきます……」
同じように、お茶をすすってみた。そんな俺の横を叶さんは通り過ぎて窓辺に佇むと、カーテンの影から外を見る。
そんな彼女から、隣の部屋に視線を移してみた。そこは寝室らしく、シングルベッドが目に留まる。そのせいでいらない妄想が頭の中に展開されてしまい、マグカップを持つ手に力がムダに入った。さっき抱き締めたことを多少なりとも後悔していたのに、また刺激的な材料があるなんて!
「こっちを見てる」
ポツリと叶さんが呟く。
「ごめんなさいっ! 勝手にあちこち見てしまって」
ついベッドをガン見し過ぎたことを、指摘されたと思った。
肩をすくめて慌てて謝罪した俺に、叶さんは視線を移さず、ずっと外を見続ける。
「外にいる、ストーカーのことよ」
呆れた口調で言う。さっきから赤っ恥をかきすぎだろ。穴があったら入りたい……。
ズズーンと落ち込んでいる俺の横を、叶さんはまたしても通り過ぎ、リビングの壁に手を伸ばして電気を消す。真っ暗な部屋に、カーテンの隙間から月明かりが、そっと入りこんだ。
「叶さん?」
「恋人同士、部屋が暗くなったら、することはひとつでしょう」
そう言ってまた、窓辺から外を見る。月明かりを浴びた叶さんの顔は、とても綺麗だった。
「いい加減に、諦めてくれないかな」
口調とは裏腹なまなざし。どこか切ないように見える。
「なんだか叶さん、淋しそう……」
「うん?」
こっちを振り向いた叶さんの顔は、今まで見た中で一番儚げで、消えてなくなりそうだった。
「俺こんなんだし、頼りないかもしれないけど、なにかできることがあれば、どうか手伝わせてください」
叶さんが好きだから……。
叶さんはそんな俺を見ながら、盛大なため息をつく。
「極力アナタに、頼ることにならないようにしなきゃ」
「なんでそんなに、突っ張るんですか?」
自嘲的に笑う叶さんに、思わず怒鳴った。
「好きな人を助けたいと思って、何が悪いんですか? 俺、ホントに心配しているんですよ」
「賢一くん……」
「そりゃ俺は叶さんよりも年下だし、賢くないし馬鹿だしスケベだし」
俺はこのとき、自分がすごいことを言ってるのを、全然気づいてなかった。ただ怒りにまかせて、叶さんに想いをぶつける。
そんな俺に叶さんはなにも言わずに、ただじっと見つめた。
「だけど……だけど叶さんを想う気持ちは、誰にも負けないつもりだし、もちろん外にいるストーカーなんか問題が――」
問題外と言おうとしたが言えなかった。叶さんの唇で塞がれたから。ほんの2、3秒の出来事が突然すぎて、思考回路が見事に停止する。
「賢一ウルサイ、ギャーギャー騒がないの!」
「あ、はい……」
「それ飲んだら帰りなさい、ストーカーも消えたし」
パチンとリビングの電気をつけた。
俺は慌ててお茶を飲み干す。熱いお茶に口の中がヤケドしそうだったが、長居は無用な空気がひしひしと漂っていた。
「お茶ご馳走様でした、それじゃ失礼します」
「明日の予定は、お昼頃までにLINEできると思うから、よろしくね」
「わかりました、おやすみなさいです」
そう言って、叶さん宅をあとにした。
未だに先程のことが信じられず、キツネにつままれた顔をして家路についた。
さっきされた叶さんのキス、夢じゃないよな――?
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