Piano:水戸史哉side

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 午前中の綾からの電話が、俺の心を沈ませていた。誰も使っていない会議室から、内線電話をかける。程なくして、愛しい後輩の声が耳元に聞こえてきた。 「叶、俺だけど」  つい名前で呼んでしまう。今までの距離を、何とかして埋めたい――会社だというのにその考えが浮かんだせいで、そっと名前を告げてしまった。 「何だか声が聞きたくなってな……。きちんと食べてるか?」  叶のことだ。忙しくしているときは、あまり物を食べていないはず。時間を惜しむように、仕事をしているだろうから。 「適当に、つまめる物をつまんでいます」  懐かしい言葉に、思わず唇に笑みが零れる。きっと叶も同じように微笑んでいるんだろう。そんな空気が声から伝わってきた。  そんな彼女を食事に誘ってみようと言葉にしてみた。何かしら目標があった方が、残業を早く終わらせようと頑張れる気がする。  するとふたつ返事の答えに、思わず声が弾んでしまった。久しぶりに叶に会えるんだな。  心を躍らせながら、ゆっくりと電話を切った。  待ち合わせの場所に着くと、既に叶は来ていた。携帯の画面を熱心に見ながら、複雑そうな表情を浮かべている。  彼女の背後に近付くべく音を立てずに、こっそり近付く。 『思っていたより、髪型似合ってた』  メッセージの文面を読んで、眉根を寄せてしまった。微妙な心情の俺が背後にいることを知らずに、短い文面を送信する叶を驚かす気がいっぱいで、両手を使って目隠した。 「どこの男にメールを送っていたんだい?」 「史哉さん……」  困惑した声色に、男だろうかという自分の読みが当たったことを知った。  綾じゃないがしばらく会ってなかったし、寂しい想いをさせたのかもしれないな……。  手を離した瞬間に、掠め取るようなキスをしてやった。驚いた叶は、俺をドンと突き飛ばす。  しっかり周りは確認済みの上での行為なのに、慎重な彼女はそれでも気にする。 「唇が冷たい、かなり待たせたかい?」 「ここに来るのに、少し歩いたから」 「で、どこの男にメールしてた?」  普通の会話から話を急に変え、一番聞きたいことの核心を突く。こうすると頭の切り替えがうまくできず、嘘はつけない――  叶の顔色を窺いながら答えを待った。 「大学の後輩です……」  目を逸らさずに凛として答えていたので、嘘ではなさそうだ。  内心ほっとしながら、彼女といきつけのバーに向かった。 「今日の服装、カジュアルな感じだな」  もしかしてその大学の後輩と一緒だったんだろうか。だから髪型が、どうのこうのと書いていたのか。  人をあまり寄せ付けない雰囲気をしている叶が、珍しく男と一緒にいた事実にちょっとショックを受けた。 「こんなにお洒落なバーなら、もっと良いのを着てくれば良かった……」 「叶は何を着ても似合うよ」  綺麗な髪を、そっと梳いてあげる。照れているのもあるが、あちこちに視線を彷徨わせて落ち着かない叶が可愛かった。今すぐに抱きしめたい衝動にかられる。 「今日の叶は何だか甘え上手だな。このままお持ち帰りしてもいい?」  形のいい耳元で呟くと、くすぐったそうに身をよじる。  しかし心底済まなそうな顔をして、あっさり断られた。仕事じゃしょうがない。まったく叶の出世も、俺並みにすごいもんだ。  肩に手を回すと困った顔をしながら、笑いかけてきた。普段なら視線を合わせない場面なのに、違和感を覚える。何かあるのかもしれない――  嫌な予感が頭を過ぎった。
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