Piano:重なる想い

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***  ライブハウスで行う面接の時間が過ぎようとしていた。急がなきゃならないのに、えらく足取りが重い。叶さんの会社から勢いよく飛び出したものの、まだ50mくらいしか進んでいなかった。 「水戸さん、すごくカッコよかったな」  あんなに素敵な人を俺が忘れさせることなんて、どうあがいたってできるワケがない。 『俺は負け戦はしない。奪う自信があるよ』  負けるくらいなら、いっそのこと叶さんを進呈した方がいいのでは――  そう考えてたら、後方からリズミカルな靴音が聞こえてきた。意気消沈した気持ちを抱えながら、何の気なしに振り返る。 「叶さん!?」  愛しい彼女が顔を真っ赤にして、ズンズンこちらに向かってくるではないか。 「け・ん・い・ちぃ……」  言い終わらない内に手にしているアタッシュケースで、俺の頬(頭もだよな)を振りかぶって殴ってきた。 「(●д●)!?」 「この馬鹿っ! 何を考えてんのっ!」  俺も驚いたが周りにいた人もビックリしただろう。バコンって殴られる、大きな音がしたから……。 「何で元カレと密室の中だというのに、二人きりにするの!? 賢一アンタ、彼氏でしょ。彼氏なら看病しないと!」 「ごっ、ごめんなさい……」  ビクビク、おどおど。叶さんの怒り方が半端なく怖い。 「万が一、何かあったらどうすんの?」 「水戸さん、そんなコトするような人には見えなかったよ」  怯えながら言うと、叶さんは手にしていたアタッシュケースを力強く地面に叩きつけた。 (ウゲッ、そんなことしたら壊れちゃうよ!?) 「まったく――どこまでお人好しなのよ。見かけに騙されて!」 「だって……」 「あの人だって、君と同じ男なんだよ。もう……」  どんどんヒートアップする叶さん。 「賢一は私がどんだけ好きか、全然理解してくれないし」  えっ!? 「その上、見捨てようとした」  そう言って、俺の胸元を右手で握り絞める。 「そんな権利、あると思ってるの?」  怒っているのに、どこか切な気な眼差しでじっと見つめる。 「こんなできの悪い彼氏にぞっこんな私を、見捨てるのかって聞いてるんだけど?」  叶さん……  気がついたら俺は、ポロポロと涙を流していた。 「ごっ、ごめんな……――さいです。俺、叶さんの気持ちがぜ、全然わからな……くて」  俺だけ好きだと思っていた。絶対に報われない片想いだと思っていたから。 「誰にも渡ひ……たくないれしゅ……うっく、叶さんが好きだから」  涙が滝のように流れて止まらない。 「男のくせして何、泣いてんの」  胸元の右手を今度は俺の頭に移動させて、グシャグシャと撫でる。 「ひっく……叶さんが俺のこと、好きらとか……ぞっこんらとか、スゴいことばかり言ってくれるから……感激……で、涙がとまらなぃれしゅ……」 「もう少し、周りの目を気にしてよ。これじゃ私が苛めてるみたいじゃない」  さっき公衆の面前で思いっきりアタッシュケースを俺にぶつけた人の言葉とは、到底思えない。 「いい加減に、泣き止んでくれないかな。仕事ができないじゃない……」  そして俺の唇にキスしてきた。そんな叶さんを強く抱き締める。 「涙の味がした――」  そう言って、俺の涙を拭ってくれる。 「今まで不安な想いをさせて、本当にごめんね」 「叶さん?」 「もう二度と言わないから、覚えておいて」 「はい……」 「二言目には、まさやんまさやんって言い過ぎ。妬けるから、あんまりベタベタしないでよね」  睨みながら言う叶さんを、俺は更にぎゅっと抱き締めた。  どうしよう、今度はニヤニヤが止まらないっ。まさやんにまで嫉妬するなんて、どんだけ俺、愛されてるんだろ。 「もう離してよ!」 「もう少しだけ……」  そのとき二人の仲を割くような携帯の音がした、俺の着メロだ。 「いっけない、すっかり忘れてた」  慌てて叶さんを離して、急いで出る。 『おい、俺とのデートをすっぽかすつもりか?』  キレてるまさやんの声、すっげー怖い……。 「やっ、デートをすっぽかすつもりなんて全然ないよ」  慌ててまさやんに答える俺に、今度は叶さんがキレる。 「ちょっ……デートって何?」  ひーっ、誤解が誤解を生んでる。 『けん坊!?』 「賢一!?」  泣いたり笑ったり青くなったり、短時間で絶対に寿命縮んだに違いない。  だけど叶さんと相思相愛を確認できたのは、この上ない幸せで。このまま幸せな時間を、ふたりで過ごせると思ってたのに。  この一年後、叶さんはアメリカへ転勤となった。  俺は第一志望の企業に晴れて就職。二年間海を隔てて、それぞれ過ごしたのである。
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