† 一 †

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「――と、いうのがあらましだ。 どうだ佐吉、怪しい話だとは思わぬか?」 そう言うと、根岸肥前守鍖衛は、旨そうにぐびりと盃をあおる。 南町奉行所の奥、つまり奉行の私用の客間で、鍖衛は、向かいに座る職人風の男に問いかけた。 佐吉と呼ばれた男は、色褪せた粗末な紺色の木綿の単衣(ひとえ)を粋に着こなしている。 そして、いかにも江戸っ子らしい、苦味走った二枚目の顔に皮肉な微笑みを浮かべ、 「根岸さま……そいつぁ、たしかに胡散臭げな話しでございますね」 と、言った。 鍖衛は、得たりとばかりに、 「だいいちその娘は、二十日のあまり何を食らっていたのか? いくら大名家の台所が間抜けたぁいえ、食い物がなくなったら、わかりそうなもんじゃねえか」 伝法な口調で返した。
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