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2035年扶桑皇国は解放した領土の大きさと皇族、将軍家の権力の強さから皇国を改め帝国を名乗った。
扶桑帝国に新たに開発されたマルチフォームユニットにより、陸海空の三軍から選抜された兵士をこれにあてた。
マルチフォームユニットはウィッチのように魔法障壁を持たない代わりに、重装甲かつ軽量のため、マルチフォームユニット専用の武器が多数開発された。
通常の軍以外に将軍家及び武家出身者による軍を近衛軍とし、帝国防衛の最高戦力ともなる存在となっていった。
しかし、ネウロイを欧州で撃滅出来たのにも関わらず、ネウロイは南極大陸を拠点とした侵攻を開始した。 ネウロイが寒さに対応したとみられる。
この事態に対し、リベリオン、扶桑帝国は共同防衛を構築したものの、南半球のオーストラリアが陥落。尚も戦闘を行うも、リベリオン合衆国の戦線瓦解によって、扶桑帝国は東南亜細亜に防衛ラインを構築した。
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