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何も要らない、何も要らないはずだった。君がいてくれさえすれば僕は何も要らない。だけど君は、高級レストランでの食事を望む、イタリア物のバッグや洋服を欲しいと言う。そして子供を有名な学校に入れたいと願った。すべては僕の間違い。僕が、僕たちの幸福を説明すればよかった。誰のものでもない、僕たちの経済力の幸せ。そこにテレビがあり、雑誌があった。広告に汚染されたそれらのメディアは、平気な顔をして「普通」の暮らしを押し付けた。「普通」とは液晶テレビやパソコン、スマホがあって、中古でも車があって、休暇には家族で温泉旅行。洋服や食器はライセンス物ではあるが一応ブランド品もちらほら。これが「普通」、本当?
「普通」は「普通以上」に憧れた。父親は高級車でゴルフに行き、母親はカルチャー・クラブやエステ・サロンに通い、友人たちと月に一度くらいは観劇する。ジェットバスや床暖房、父親の洋服は仕立て物で、母親は一点物のブランドを集めている。欧州の高級食器やインテリア、和食器にも詳しい。たいていの物は外商を通して一流デパートで買う、しかも代々。子供は習い事に忙しく、海外旅行もすでに体験済み、幼稚園の時に家族でハワイに行った。そんな「普通以上」の生活を羨望させること、これこそがメディアの狙いだった。もちろんこのことは人に向上心を植え付け、競争と努力を奨励したので、無気力な終わりの社会を現出させずにすんでいたのかもしれない。ただし問題は速度だった、この相対速度は人を物に変えてしまう、命でさえも。
父親の博之はたいていのことでは意志が強く誘惑にも負けない。しかし家族のこととなると別である。妻のひと言は耳に痛い。夕食の片づけをしながら妻の淳子が言う。
「斎藤さんち、年末は香港ですって」
「うちはうちだろう」
「そうねぇ、うちはうちよね、香港なんて、今時ねぇ」
「そう、香港よりも熱海のほうが温泉はあるし……。それに俺の歳で都内にこれだけの一軒家なんかそうそう持っていないんだ」
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