第1章

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その家族は小さなポメラニアンを長く飼っていた。犬を近くの公園に散歩に連れて行く時など、母親や子供の心は暗く、すれ違う近所の家の大きな犬が羨ましく見えた。家族が住む住宅街では大きな犬が豊かな生活の象徴だった。淳子は年老いた小さな犬が食事をねだった時、「今夜はあげずにやめておこう」と思ったことがある。理由は心の片隅で老いの元気を疎ましく思ったからである。子供でさえも、長生のそのポメラニアンを「できれば早く弱ればいい」とさえ、ほんの一瞬だが心で思った。たとえ一瞬でもよぎった気持ちは悪鬼そのものである、多少はない。自身に非道で陰険な心があることに憂い驚く反面、否定もせずに疚しい気持ちを流した。大人の内心だけでなく子供の内心にも宿ったというところが悲惨である。飼い犬に対する愛情よりも、メディアに唆され背徳が強くなった時にその邪心は現れるのだが、消毒もされずに暮らしの中に吹きすさび、それは無自覚のうちに溜まっていく代物なのである。そして家族の誰もが暗黙のうちに了解していたという状況こそが、そこを穢土としたのかもしれない。博之にしても母親や子供に存するその黒い心に気づいていたからこそ、「次は大きな犬にするか?」と、まだポメラニアンが息している時に、こっそりと子供を喜ばせたりもしたのだった。犬は寿命で先月にやっと死んだ。家族は一様に悲しんだ。 話を進める前にもう少し寄り道をする。実は犬より前、昨年は博之の母、桃子が亡くなっていた。桃子が長男である博之たち夫婦と同居するようになってからの約8年間は家族の誰にとっても重い年月だったに違いなかった。外面的には82歳での普通の往生だったが、果たして桃子を看取った家族にポメラニアンに対した気持ち同様のものがすでにあったのか、それは各自の内心のより深い奥底にオキシドールを垂らすなりしなければ分からないことだっただろう。この場合、相手が人であったために犬の場合と違って、心は悪鬼を巧妙に隠したからだった。不気味に白くジワジワと泡立つ家族の暗闇が桃子の命の意味を教えるのである。
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