第1章

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湿った過去から脱却し、始まりを予感させるファーストだったが、それがファウストと変化し、犬が完全にファウストとなった頃、めざとくメフィストフェレスは家族に忍び寄った。博之は大手の建設会社で営業部に属していたが、不景気の流れは容赦なく、かつては接待費で行けた銀座や六本木が今は近所の居酒屋になった。銀座のクラブの女性たちは新しいお客を携帯に登録した。もはや死にかけている博之の会社名は彼女たちにとって不要となり、彼の名前も携帯から削除された。 営業成績の上がらない博之の立場も社内では微妙なものとなっていた。さりげなく残酷に希望退職が促されたが、これは事実上のリストラだった。博之は自身のためというより家族のためにリストラに抵抗したが、しかし感情を持たない法人への挑戦は徒労に終わり、子会社への転出も断って結局のところ上司への不信を抱いて退職した。上乗せされた退職金ではあったが、博之が自慢する一軒家の残ったローンに大半は消え、だんだんと成長していくファウストと塾通いを始めた和彦、そして妻の変わらない物欲に、余った退職金も吸い取られていった。毛並みが悪くなるという理由で妻は外国製の高価なドッグ・フードしか与えなかったし、ファウストはそれをよく食べた。食べてどんどんと立派になっていった。淳子の欲望が犬を思いのままに育てていったのである。
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