第一章 中富川合戦 その一

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 居城である十河城のある、十河の郷。  子供のころ、存保と一緒に城の外へ遊びに出かけた。  のどかで広々とした大地に、あぐらをかいて居眠りするような、小さな山。そこでの穏やかな人々の営み。淡くも青い空には、風になびくほのかな白い雲が浮かぶ。よそから来たものが見れば、そこは極楽かと思わせるほどに、居心地のよい郷だった。  その十河の郷で、若い殿様とおひい様がかけっこをしている。  存保は足が速かった。お燕はいつも置いてけぼりだった。 「存保さま、お待ちを」 「遅い遅い」  存保はかまわず駆けてゆく。  お燕はいたたまれなくなって、ついには地べたにへたりこんで、 「存保さまの意地悪」  と泣き出してしまった。  そこでようやく、 「泣くなお燕。今度はゆっくり歩くから」  と言って、慌てて慰めるのであった。  郷の人々はそれを笑いながら眺めていた。  その時は、何故笑っているのかわからず、郷の人々たちも意地悪だと思ったが。今思い出してみれば、 「うふふ」  と自分でも笑ってしまう。  われながら、かわいらしくもあり、ほほえましくもあり、まだあどけない日の思い出のひとつであった。  遅い、といえば、ややはまだだった。 (わたしが遅いのは足だけではなかったのかしら)  と思い悩むこともあった。  それを思うと、存保の武運を祈らずにはいられなかった。  存保あっての、ややだから。
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