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ここで、私の両親について…。
母は農家ではあったが、かなりの資産家でお嬢様でした。
あの当時でセーラー服に身を包み自転車にまたがる写真があるほど。
東京に憧れ東京の専門学校に進み、美人で有能で銀座で働いていました。
大手企業の美人OL。
それが母。
なんで私は似なかったんだろう…。
資生堂パーラー。
母の良く通った喫茶店。
小さい頃よく母に連れられ行ったな~。
今は、私達家族は生活が大変で無理だけど…。
父は、母と同い年。
同い年でも東京で戦争の中逃げ、両極端に近い苦労をし、幼い妹の為、就職して家族を助けた苦労人。
でも、母と結婚して時代も変わり…。
世の中か楽になってきた頃には、お酒の飲み過ぎで酒臭くて午前様ばかり、お正月に新調した新しいスーツもなぜか外玄関で帰ったつもりになり、木にもたれビリビリと破き…。
麻雀も。
タバコも。
浮気もあった?
トイレは汚すし、子供の頃の私にはだらしない父に見えたっけ。
どうしようもない父だけど、心筋梗塞をして一命と取り留めてから変わった。
いまでは優しい優しいおじいちゃん。
母も大切にして、結婚記念日もきちんと母にプレゼントを買ってくる。
まあ、昔から父の取り柄。
とにかく優しい人。
人の悪口も愚痴も聞いたことはない。
そして挨拶!
私の育った実家は挨拶・笑顔・優しさ。
温かい家。
大切な大切な両親。
私のもう一つの自慢です。
母は父の両親が気難しくて、父の兄二人の嫁とは気が合わず結局一番根が優しい父を頼って同居になった。
母は田舎は親を見るのは当たり前と、いじめられながらも最後まで自宅で看取りました。
私は子供の頃、祖母が痴呆症になり、母がつきっきりだった為、料理や家事も手伝わなくてはならなくて、1人っ子特融の甘えは出来ない状況だったが、なんとなく母が自慢だったし、この頃から料理は好きになっていった。
作ると両親が喜んでくれる。
「美味しいね。」
その言葉は、容姿に自信のない私には最高の褒め言葉だった。
これから綴ろうと思っているこのエッセイ。
親から伝わった数々の教えも練りこんでいきたいと思っています。
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