Piano:決別

6/6
前へ
/19ページ
次へ
***  水戸さんと別れてから、叶さんにすぐにメールをした。すると『私からも話があるので自宅に来て下さい』という返信があって、足取りの重いまま叶さんの家に向かった。  シンプルな中に見え隠れする心情が正直怖い。第一声、まずは何から話したらいいかな。掌に変な汗をかきながら懸命に考えたのだが、気がついたら叶さんの家の扉の前に立っていた。  いつものようにピンポン、ううっ……まだ頭の中が整理されてないのに、反射的に押してしまった。  中から鍵を外す音がして扉が開き、叶さんが顔を出す。 「どうぞ」  微笑みながら、中に入れてくれた。  だけどその笑みはいつも俺に見せてくれるものではなく、明らかに営業用のスマイルだった。これをされると叶さんが何を考えているのか、皆目検討がつかなくなる。  見えないバリアを作らせたのは俺自身なので、しょうがないのだけれど――。 「お邪魔します……」  覚悟を決めて中に入るしかない。  先に中へ入っている叶さんの後ろ姿を、つい見つめてしまう。  今、どんな顔をしているんだろう? まさやんから送られてきた写メのように、悲しそうな顔をしているんだろうか。 「話って何?」  俺に背を向けたまま話を切り出す叶さん。変に隠してもしょうがないので、例の写メを見せる。 「このことについてなんだけど……」 「へえ、フォーカスされたんだ。キレイに撮られてる」  にっこりしながら言う叶さんに、口を開こうとしたら、 「何でも会長の孫娘と仲良くお付き合いしているんだって? 果ては社長にでもなるつもりなの?」 「そんなつもりはないです」 「しかもこんなに可愛らしい子と結婚ができるなんて、夢のような話じゃない。社長の愛人っていうのも、案外悪くないかもしれないわね」  自嘲気味に笑う叶さんの目が全然笑ってない。 「俺、この子とは付き合ってないよ……。だって」 「並んで歩いてる姿、すっごくお似合いだったよ。私なんかよりもずっと」  俺の話をさっきから遮り、本音を話させてくれない。最初から用意された台詞を、淀みなく話しているみたいだ。 「でも愛人って辛いんだよね。会いたいときは会えないし、誰にも見つからないようにしなきゃならないから、かなり神経を使うし。リスクばかりでいいことがないの」 「叶さん……」  過去の自分を思い出しながら語る姿に、胸がしくしくと痛む。 「私はね、人一倍我が侭だから……。私ひとりにだけ愛が欲しいよ、賢一」    俺の顔をじっと見つめる。その想いに応えるべく、気持ちを込めて告げてあげた。 「俺は叶さんだけを愛してるよ」  嘘は言ってない。俺の中ではいつでも叶さんが1番なんだから。 「じゃあ証明して」 「証明……」 (うっ、何をどうやって証明したらいいんだ?)  むむっと少し考えて、叶さんを抱き締めようと手を伸ばしてみた。 「安易!」  怒った声に、伸ばしかけた手が止まる。冷たい言葉と視線に、体が固まってしまった。 「賢一のことだからどうせ、人の恋路に首突っ込んだか何かしたんでしょ?」  その質問に首を縦に振るしかない。言葉が何も出なかった。 「そんな余計なことをするヤツは、馬に蹴られて死んじゃえばいいわ」 「叶さん、俺まだ死にたくないです」 「私に誤解されるような行動を、人様のためにどうしてできるの?」  呆れた顔して俺を見る。 「だって困ってる所を助けてくれたから、今度は俺が助けなきゃって思って」 「お人好し、お節介!」 「だって……」 「私が同じようなことをしてそれを賢一が目撃したら、どんな気持ちになる?」  まさやんから添付された、叶さんの悲しそうな顔を思い出す。きっと俺も、あんな顔をするんだろうな。 「でも後からきちんと話して誤解を解けば、俺は許せます」 「私はね、許せない。どうして、最初から説明してくれないの?」 「だって叶さん、人の恋愛に首を突っ込むのをイヤがるじゃないか……。止めておけって言うのが分かってるから」  俺がそう言うと、腕組みしてうんうん頷いた。 「賢一、楽譜の強弱記号覚えてる? FとかMPなんか」  唐突な話題転換に、一瞬頭がこんがらがる。 「えっとFはフォルテで、MPはメゾピアノ?」  うろ覚えだったけど、意味までは分からない。どちらかが強くだろうな―― 「正解。フォルテは強くでメゾピアノはやや弱く。そして賢一はPianoなんだよね……」 「俺がPiano? 弱いってこと?」  俺が不思議そうな顔をすると、叶さんはとても悲しそうな眼差しで見つめてきた。 「Pianoって弱くの他に、優しくっていう別の意味があるの。賢一は私だけじゃなく、他の人についても対等に優しいよね」 「叶さん?」 「そんな優しい賢一だから好きになった。私だけじゃなく水戸さんや他の人達も、自然と賢一の周りに集まる。賢一が他の人に優しくすればする程、私との距離が遠くなるんだよ」  賢一の奏でる優しいメロディを聴くことができたのは、はじめは私ひとりだったのに、気付けばたくさんの人に大好きな彼は囲まれていた。  そして私は今、かやの外にいる―― 「俺だって叶さんを独占したいんだ。俺の知らない所で、どんどん偉くなっていってる……。このままだと手の届かない存在になりそうで、何だか怖いんだ」  俺は初めて自分の意見を言ってみた。 「はっ、そんなの会社での地位の話じゃない」 「俺だって男なんだ。少しでも叶さんに近づきたいと思うのは、当然だろ」 「だったら、この孫娘と結婚すればいいでしょ。将来を約束されたも同然なんだから」 「嫌だ、俺は叶さんじゃないとダメなんだから」  きっぱりと断言した。 「賢一が周りにお節介焼かなければ、結婚してもいいわ」  そんな折衷案を出してきたのだが、俺は迷うことなく答える。 「それは無理……」  困ってる人を見捨ててはおけない。 「やっぱりね、そう言うと思っていた。優しい賢一だから……」 「これが噂に聞く価値観の相違だね。恋人たちが別れる原因になっちゃうヤツ」  好きなのに相手を思いやるとキズつける。愛すれば愛する分だけ、お互いの距離を遠くする。  どっちも譲れない想い―― 「さよなら……しようか」 「俺もこれ以上、叶さんを傷つけたくない」  ――守るためのさよなら。    どちらともなくぎゅっと抱き締めあって、互いのぬくもりを確認した。これが最後の抱擁。そして―― 「さよなら、叶さん……」  その言葉を合図に、背を向けるふたり。振り返ることはなかった。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

66人が本棚に入れています
本棚に追加