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ひとり静かにカップラーメンで夕飯中、玄関の扉をガンガン叩く迷惑な音がした。呼鈴あるのにどこぞの旦那が間違えて、奥さん呼び出しているのやら。
そう思って玄関に行くと、
「けん坊開けろぅ、俺だ!」
まさやん……珍しく泥酔しているのか?
慌てて扉を開けると、にっこり微笑んでいるまさやんがいた。手にはビニール袋に入った缶ビールが。
「けん坊の失恋記念を祝して、乾杯しに来た」
そう言うと、勝手にズカズカ中に入る。
「珍しいね、まさやんが酔っぱらってるなんて」
「ちょっと大きな仕事が上手いこといってさ、ご機嫌なんだ」
そう言って腕組みしながら、リビングの様子を見回す。
「まだ彼女の私物を、置きっぱなしにしているのかよ。いい加減に捨てたらどうだ?」
捨てる勇気があるなら、とっくに捨てるさ……。
俺は苦笑いしながら、まさやんから缶ビールを受け取った。ふたり同時にリングプルを開けて乾杯。ビールの苦味が喉を駆け抜けた。
「まさやん悪いけど、しばらく作曲はできそうにないから」
「何で?」
「頭ン中にずっと槇原敬之のもう恋なんてしないが、エンドレスで流れててさ。離れないんだ」
持っていた缶ビールを、きゅっと握り締める。
「もう恋なんてしない……か」
溜め息をつきながら、まさやんが言う。
「もうこの歌詞がリンクしちゃって、どうしようもない状態になっちゃってる。実際叶さんが作る朝食は本当に美味しくないし、今現在なんて自由で自分のしたいことを思いっきりできる環境でいるのに、何か淋しいし」
「けん坊……」
「いつもより眺めがいい左に少し戸惑ってるってトコは、俺の場合は右側でさ。どうして右かっていうと、利き手をふさいで主導権をとろうとする、叶さんの作戦だったりするんだよ」
笑いながら言うと、切なそうな顔をするまさやん。
「でもねやっぱり、叶さんの私物を整理できないや。ゴミ箱抱えることができないトコは、一緒じゃないね」
「分かったから、もう止めろよ」
「昼間は大丈夫なんだ、仕事に集中していれば何も入ってこないから。だけど会社から1歩出た瞬間から、見えない何かが俺を襲うんだ。日を追う事にどんどん強く……」
缶ビールをテーブルに置き、自分の体を抱き締めた。
「もう元には戻れないのか?」
「あれ? まさやん、別れて良かったと思っていたんじゃなかったっけ?」
「まぁな。だけど今のけん坊の姿は、もっと見たくないよ」
泣き虫だったけん坊が泣かずに、自虐的になってる姿なんてさ。と小さな声で呟いた。
「同じ物を見て感動したり、同じ物を食べて美味しいって言ってたのが当たり前過ぎて、思い出すと懐かしくなる」
たとえありきたりな小さいことだって、繰り返せば大きくなるのが身に染みるんだ。そのことを忘れることができるんだろうか……。
「よし、落ち込んでいる営業企画部課長さんに、大きな仕事を引っ張ってきてやろうじゃないか!」
バシンと背中を思いっきり叩くまさやん。へたってる俺に気合いの一撃はかなり痛いよ。
「私生活を忘れるくらいに忙しくしてやるから、覚悟しておけ。今の俺には、怖いモノなどない」
「横にしっかり、可愛い彼女もいるしね」
笑いながら言うと、途端に機嫌が悪くなる。
久しぶりにリビングに活気があるのが嬉しい。ひとりきりの夜はとても長いから……。
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