一人目

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 牧野はそばにより、アームレストに置かれた白い手を見た。さっきまで南が使っていたらしき黒いペンで、稚拙な文字が書かれている。  ――『ただいま。』  生徒が後ろから、それを次々に覗き見た。 「なんだよこれ、どう言う意味だよ」 「ろ、六宮だ……六宮君が殺しに来たんだ」 「なんでだよ、あいつ捕まったはずじゃん!」 「やっぱ殺された子の呪いなんだ」  ひとりひとりが好き勝手なことを言い、それがさらにパニックを加速させていく。六宮の自殺を知るはずもないのに、自然と『呪い』という言葉があちこちから出始めた。  異様なざわめきの中、くさびもその死体を見た。そしてじっくり、周囲のクラスメイトを観察する。 「……みんな、教室に戻れ」  牧野が低い声で言う。しかしいまだ興奮状態の生徒に、その声は埋没した。 「お前ら、戻れッ!」  二度目の命令に、その場の誰もが身をすくめた。皆が初めて聞く牧野の怒声だった。その迫力に、テツはもちろん泣いていた女子までもが口をつぐむ。 「……カウンセリングは中止だ。見ればわかると思うがな」  牧野が生徒を見渡した。この状況での軽口が、彼に異様な雰囲気を与える。 「今すぐクラスに戻れ。さっさとしろ」  死刑囚のような足取りで、生徒たちはそろそろと部屋を出た。恐怖に縛られた無言の集団が、暴風雨で窓の鳴る廊下に列を成す。  くさびが牧野を振り返ったとき、空が一瞬白んだ。雷光に、どこか遠い目をした牧野が浮かび上がる。  ――楽しんでやがる。  彼が薄く笑っていることに気付いたのは、くさびただ一人だった。
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