口紅

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 その口紅は美しい色をしていた。まるで、ルビーの鮮やかな色をそのままに再現したかのような色合いだった。  綾子がその口紅を手に入れたのは偶然だった。会社への出勤途中、道ばたに落ちていた箱入りの口紅を拾ったのだ。本来なら、交番にでも届けるべきだったのだが、時間がなかったので、帰りにでも届ければいいと思い、そのまま、バックへとしまった。  会社と到着する前、駅の公衆トイレで身だしなみを整えていた綾子は口紅のノリが悪いことに気がついた。どこかに擦ってしまったのか、薄くなっていた。塗り直そうとしたが、バックにいつも使っている口紅を入れてくるのを忘れていた。いっそのこと落としまい、リップクリームを塗ってしまうという手も考えたが、リップも手元にはない。 「どうしよう」  鏡の前でどうしたらいいのか、綾子は考えた。やがて、彼女はバックに途中で拾った口紅があることを思い出した。 「少しぐらいならいいわよね。お礼の一割よ」  拾い物を勝手に使うのは悪いと思っていたが、適当な理由をつけ箱に入った新品同様の口紅を、化粧を落とした唇に塗ってみた。鮮やかな色だった。唇へのノリも悪くない。どこの製品か分からないが、いい口紅だと思った。  鏡に映る顔を見て、綾子はいつもより大人びているような気がした。いつもとは違う口紅を使ったからだろうか。落とした人には悪いが、綾子はその口紅がいたく気に入った。  実際、その日の綾子の評判が良かった。 「綾子、どうしたの?その口紅。綺麗な色をしているじゃない」 「本当、そんな綺麗な色の口紅、見たことないわ」 「教えてよ。綾子。どこで、その口紅を買ってきたの?」  同僚の女子社員は揃って綾子に口紅のことを聞いてきた。男子からの評判も良く、その日だけで、彼女は何度も食事に誘われた。  綾子は上機嫌だった。たった一つ、変えただけで、人の評価というモノは変わるものだと実感できたから。全ては、この口紅を拾ったおかげであった。もう少しだけ、これを借りていたかった。
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