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春はまだ遠い。
喫茶店の窓から見える街路樹は裸で整列し、道行く人々は逆に肌をぴったりと包み隠した重装で流れていく。
「ふぅ……あ」
まださほど人のいない店内で、遠藤 紡は小さくため息をついた。それに気付き、自分の両頬をぺちりと叩く。
「いけないいけない。ため息ひとつで、幸せがひとつ逃げる……」
軽く叩いただけだが、それだけの微振動で掛けている赤ぶち眼鏡がズレた。これは最近になって初めて購入したものだが、サイズをあまり気にせず買ったため、小顔な彼女には少々大きすぎた。
ずれた眼鏡を戻し、カップに僅か残ったコーヒーを一気に飲み干す。喉を通過する冷めかけた黒は、特有の苦味を口内に残し、腹へと吸い込まれていった。
「今日も頑張ろう。そう、頑張らなきゃ」
確かめるように二度呟くと、遠藤は気合を込めて立ち上がった。
思いの外勢いがよかったらしく、直前まで座っていた椅子がかなり大きな音を立てる。遠藤は顔を赤らめながら、財布から千円札を取り出し、会計に向かった。
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