序章 その男、真宮寺幸太郎

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 左右の眉山にかかる真っ黒な前髪を両手で軽く外側に払い、 真宮寺は眼下に広がる夜の街に目を落とした。 オフィスビルの2階に入っているこのファミレスの窓からは、 煌々としたネオンと、引っ切り無しに往来する車のライト。 そして、雑踏が見えるだけだ。  しかし、真宮寺はこの眺めが意外と好きだった。 風光明媚な眺望は、確かに心身を癒してくれる。 だが、都会の喧騒には“生の活力”がみなぎっていると 真宮寺は考えていた。生と死が表裏一体であるのと同じく、 静寂と喧騒もまた、常に隣りあわせなのだ。  大勢の中でひとりの時間をゆったりと過ごす。 ともすれば、気を散らされて仕方がないようなこの環境が、 逆に真宮寺の集中力を高めてくれる。  考えをまとめたいときや、今日のようになんとなく寝付けない夜など、 真宮寺は折につけてこのファミレスに通い、毎回決まってぼんやりと 物思いにふけりながら、コーヒーを数杯胃袋に流し込むのである。 そうしているうち、ふと妙案が浮かんだり、まどろみがゆったりと やって来たりするものだ。  真宮寺のような仕事をしていると、あれこれ思案する時間を どれだけ捻出できるかが重要になってくる。  集中力は適度な睡眠によってもたらされ、 カフェインは認知能力を向上してくれる。  真宮寺の目下の課題は、“適度な睡眠時間を確保できるか?” ということと、明日の午後に控えた“ちょっとした面会”であった。  前者については、さほど深刻ではない。普段どおりであれば、 あと30分かそこらで睡魔が歩み寄ってくるはずだ。明日の“面会”も、 アポイントメントは午後一番。8時間程度の睡眠時間は余裕で確保できる。  しかし、問題は“ちょっとした面会”の中身である。 今日、正確に言うと昨日午後に彼から連絡があった時、 真宮寺は軽く心をかき乱された。 『久しぶりにお昼ご飯でも食べようよ。ちょっと遅い時間だけど、いいよね?』  彼が食事に誘ってくる場合、往々にして厄介事がついてくる。 長年の付き合いから、真宮寺の中で、それはほぼ既成事実と化していた。  「さて、今度はどんな話が飛び出ることやら…。」そうつぶやくと、 真宮寺はマグカップに残ったコーヒーを一気に飲み干し、 伝票を手に取るとレジへと向かった。
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