序章 その男、真宮寺幸太郎

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「何かいいことでもあったんですか?」  レジを打ちながら、店長が静かに声をかけてきた。 「へ?」意外な問いかけに、真宮寺は一瞬面食らった。 「何か、いい事があったように見えました?」札入れから千円を出しながら、 真宮寺は店長の質問に質問を返していた。自分としては、不安と疑心がない交ぜになったような感覚でいたつもりだった。 「ええ。何かを期待しているように見えましたよ。」 つり銭を手渡しながらそう語った店長の言葉は、いつもどおり穏やかだった。 「そうですか。まぁ、確かに期待してないワケではない、かもしれませんね。」真宮寺は、やや困ったような笑顔を返した。  結局のところ、厄介事が降ってくるのをどこか期待している自分がいるのだ。そして、そういう自分こそ、真宮寺幸太郎を形作っている、大きな要素の一つなのだ。 “探偵”なんてヤクザな家業は、厄介事を期待してる変わり者にしか務まらない。 そして、真宮寺は自分が変わり者であると十分自覚していた。 「それじゃあ、おやすみなさい。」真宮寺はいつものように店長へ声をかける。 「ありがとうございました。おやすみなさい。」店長は、いつもどおりに真宮寺を送り出した。  暦の上では春がとっくに訪れていたが、深夜ともなるとまだまだ肌寒い。 真宮寺は左腕のオメガ・シーマスター・プロダイバーに目を向ける。 時計の針は1時27分をさしていた。 「さて、良い頃合いかな。」ひとりそうつぶやくと、 真宮寺は帰宅の途につくべく、眠りきらない街の雑踏の中に足を踏み入れた。  いずれにせよ、明日の会食を終えれば久々に刺激的な事になっているだろう。 数ヶ月ぶりに、ニューロンを総動員するほど悩む事になるかもしれない。 だがそれは、自分にとって間違いなく充実した時間になるだろう。  そんな想いを巡らせながら、真宮寺幸太郎は家路を急いだ。  買い置きのインスタントコーヒーが底をついていた事を思い出したのは、 適度な睡眠から清々しく目覚めた直後であった。
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