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「すまん、別の事を考えていた。まあ、何だ。お前は若いんだし、未来もある。足を踏み外すなよ。男一匹で悩む姿なんてのは、見るに堪えないもんだからな」
そう言って頭を撫でる碓井の手は逆光になり、その上腕時計まで巻いてあって分かりにくかったのだけれど、しかし何の因果か服部はそれをハッキリと見てしまう。それは生命を断とうとした跡、何か鋭利なもので手首を切ったその傷跡であった。それも一条や二条でない。何条も何条も、不規則に衝動的に、此の様な場合でなければ見えない様に計画的に、それらは走っていた。今にも血が滲みそうな程に痛々しいそれらは、しかしそうあって欲しいと言う願いを嘲笑うかの如く健在に晒されている。
服部は、言葉を失った。いや、よしんば何か言えたとしても何を言う事が出来たであろうか。それは恐らく的を射た表現でもなければ、目の前の男の望む言葉でもなかったであろう。そんな服部の比較的癖の強い髪を掻き混ぜる様にして撫でる碓井の手つきは何処か父性を感じさせる温かみを持っていた。何分か、恐らくは三分もそうしてはいなかったのだけれど、実際の時間よりも大分長く感じさせた時間の後、碓井は不意に服部に背を向けて、朗らかに言う。
「それじゃ、俺は一先ず署に帰るけど。担当の刑事には、俺が来た事は内緒にしておいてくれよ? これあげるからさ」
「えっ……?」
その疑問に答えることなく、碓井は出て行ってしまう。後に残ったのはコンビニの袋に入ったものが一つ。中には、薩摩揚げが入っていた。
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