13人が本棚に入れています
本棚に追加
彼は日付を記録する事にした。唯一の持ち物であったスマートフォンは電話帳しか入っておらず、記録用には使えない。彼は躊躇わず、其の右指に歯を立てる。何度も何度も、力の入れ方から歯の角度まで緻密に調整しながら、彼は執拗に自傷行為に励んでいた。
其の善悪を問う事は、此処では割愛させてもらう。彼は最早こうでもしなければ、自分の産み出した怪物に勝てそうもなかった。ソレはあらゆる可能性の上に鎮座して、腫れ物の様にして存在感を放ち、そして其れはまた秒刻みで膨張している。成る程それが、傍から見れば愚にも付かない結論であったとしても、誰も其れを咎める事は出来ないであろう。
やがて、苦闘の末に親指の皮が千切れ血が滲みだす。僅かな痛みがソレの存在を暫し忘れさせてくれた。流れ出す血を凝視する。それは指の腹から第一、第二関節を伝い手首の辺りから床へと滴っていた。陶然とした目で其れを見る。口角は久方振りとも知れぬ引き攣った笑みを象っていた。彼は立ち上がると、眼前の壁に大きく横線を引っ張る。鮮やかな紅が白い壁に映えた。
そして、止血しようともせずに彼は其のまま力尽きるようにして眠ってしまう。其の日は比較的甘美な夢を彼は見た。それは吸い込まれそうな紅(ルージュ)が印象的な夢だった。
最初のコメントを投稿しよう!