囚われし者

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規制線を越えて事件現場であるワンルームへと足を踏み入れた刑事・碓井考太郎(ウスイ コウタロウ)が最初にしたことは中身の入ったコンビニの袋を床に置いて、被害者の顔を見る事であった。ブルーシートを捲る。大量の血液に彩られた痩せこけたそれはまるで死すら生温く思える『何か』を見たかの様に目をはち切れんとばかりに見開かせ、口は苦悶の形を取ったまま固定されていた。彼はその瞳の裡にもうその『何か』が焼き付いてしまっている様な、それが此方を見ている様な錯覚を覚え、慌てて目を逸らし合掌する。そして現場保存に勤しむ若い鑑識を手招きした。若い鑑識は忙しなくフラッシュを炊かせていたカメラを仕舞って彼の下に駆け寄り、自分が鑑識課の服部龍弥(ハットリ リュウヤ)であるという事を彼に伝える。碓井は自分の名を反射的に返して、状況を尋ねた。服部は慌ててファイルを捲る。 「被害者の身元は不明。死因は自分の爪で喉の動脈を傷つけた事に拠る出血性ショック。死亡推定時刻ですが、死後硬直その他から少なくとも死後一週間は経過していると見られています」 「身元不明、ね。此の部屋については?」 「は。此の部屋ですが第一発見者である此のアパートの大家さんの証言に拠りますと、凡そ一か月前に在宅SEである相川一広(アイカワ カズヒロ)という男性が転居してからずっと空室であった様です。相川の方もアリバイがあり、事件への関与は見られません。ただ……」 碓井は言を濁す服部に訝しむ視線を送った。服部は其の追求を逃れる様にして視線を事件現場へと逸らす。そこは、文字通り首を掻き切った事に拠ってできた血溜まりが未だに凄惨に濃厚な死を香り立たせていた。碓井も追従して視線を移す。そうしてから来る途中のコンビニで買ったコーヒーを一息に飲み干してから容器を握り潰した。 「いえ。此の事件、何と申しましょうか、非常に奇妙な点が幾つもありまして……」 「ええと、服部、だったか。君には、それが信じ難い、と?」 僅かに逡巡した挙句、服部は小さな声でそれを肯定する。碓井はカップだったものを持たない方の手で白いものの混じり始めたオールバックを掻いた。 「私もね、鑑識の結果を疑う様な事はしないさ。君達がそう結論付けたのなら確かにそれは起きているということだ。兎に角言ってみるといい」 服部は其れに大分恐縮しながら、漸くその信じ難い事実を一言一句間違えない様にゆっくりと言い始める。
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