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人は死ぬ時、エンドルフィンだっけか、
快楽物質が脳内で作られ、たとえようもない快感に襲われるという。
その快感と、性の絶頂感とはどう違うのだろう。
性の絶頂は小さな死。
絶頂を迎えるたびに脳細胞は少しずつ死んでゆくのだから、
それは強ち間違いではないだろう。
男性の場合はもっと、精子が死ぬのだからストレートだ。
人は小さな死を繰り返して、やがていつかは本物の死に至る。
私の文章のテーマが「死と性」であるのは、その部分に拘るからだ。
だから初期のCoccoのような気持ち悪さ、と評されたりする。
オブラートにくるんでニュアンスで伝えることは苦手だ。
だって、死と性だもの。
切迫しているのだもの。
きっとこれからも私は、読む人が胸焼けするような文章を書いていくのだろう。
それが私の自然なスタイルだから仕方ない。
読みたい人だけ読んでくれたらいい。
私はただ考える。
死を。
性を。
そして、いのちを。
生きるために死と性を考えずにいられないのだ。
死ぬまで考えていたい。
死ぬまで死に続けたい。
死と性に拘るのは、つまりは私の生き方なのかもしれない。
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