第1章

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人は死ぬ時、エンドルフィンだっけか、 快楽物質が脳内で作られ、たとえようもない快感に襲われるという。 その快感と、性の絶頂感とはどう違うのだろう。 性の絶頂は小さな死。 絶頂を迎えるたびに脳細胞は少しずつ死んでゆくのだから、 それは強ち間違いではないだろう。 男性の場合はもっと、精子が死ぬのだからストレートだ。 人は小さな死を繰り返して、やがていつかは本物の死に至る。 私の文章のテーマが「死と性」であるのは、その部分に拘るからだ。 だから初期のCoccoのような気持ち悪さ、と評されたりする。 オブラートにくるんでニュアンスで伝えることは苦手だ。 だって、死と性だもの。 切迫しているのだもの。 きっとこれからも私は、読む人が胸焼けするような文章を書いていくのだろう。 それが私の自然なスタイルだから仕方ない。 読みたい人だけ読んでくれたらいい。 私はただ考える。 死を。 性を。 そして、いのちを。 生きるために死と性を考えずにいられないのだ。 死ぬまで考えていたい。 死ぬまで死に続けたい。 死と性に拘るのは、つまりは私の生き方なのかもしれない。
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