レプリカ

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レプリカ

春になったばかりのまだ肌寒い雨の降る日の夜、彼女はぽつりと呟いた。 「毎日、明日になったらあなたが私を忘れてしまっているんじゃないかと思う。それが私にはとても耐えられない。ずっと私のことを考えていて欲しいの」 僕はそれに何と答えただろう。 はっきりとは覚えていないけれど恐らく「考えてるよ」と、少し笑いながら答えたんじゃないかと思う。 僕にとっては、日常の他愛もない会話に過ぎなかった。 でも、彼女にはどうやらそうではなかったらしい。 翌日、くたくたになって仕事から帰宅すると彼女は消えていた。 彼女だけではない。 彼女の所有物の全てが、部屋から忽然と消えていた。 使いかけの歯ブラシや読みかけの小説、髪飾りに靴下までありとあらゆるものが。 元々モノの少ない僕の部屋に残されたのは、わずかな衣類と必要最小限の食器や家具、それから僕が組み立てたいくつかの世界の有名な建造物のレプリカくらいのものだった。 そのレプリカはよく彼女と行った美術館に売っているもので、中々どっしりと精巧に出来ていて、僕は行くと必ずそれを買ってきて組み立てるのを楽しみにしていた。 そして、それを彼女はいつも近くで見ていた。 きっと、彼女はその消え方に細心の注意を払ったんだろう。 そう思える程に、美しい消え方だった。 どうせなら残された僕のみすぼらしい持ち物も美しく消し去ってくれたら良かったのに。 でも感嘆するほどに美しい消え方は、僕の心にぽっかりと穴をあけた。 多分その穴に手を入れたら、ごつごつとした岩肌みたいに尖っていて、不思議な程嫌な歪み方をしているだろう。 僕はその歪んで醜い穴を彼女と引き換えに手に入れた。
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