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「では、私はこれで」
兵が背を向ける。
アスティスは動揺を隠しきれずに、青い顔で唇を噛み締めた。
「ティルア……何があった、どうして、どうしてこんな……!」
すぐにも駆け付けようとするものの、午後からはまた別の使節団との貿易会議が予定されている。
信頼を取り戻すために再度踏み出した一歩を無下にするわけにはいかない。
「おっ、おいっ、そこにいるのはアスティスか!?」
詰所方面から、真紅の準礼服に身を包む灰髪の男が結わかれた長い髪を左右に揺らし現れる。
その後方には、見知った者の姿。
身なりこそセルエリアの訓練着を身にしているものの、燃えるような赤の癖がついた髪は忘れようもない。
「ハム……それと、レン……!」
ハムレットは騎士団入りし、国防方面に才覚を伸ばすギルバードの弟。
そして、レン。
ラズベリアにてティルアと共に街を護っていた幼馴染み。
アスティスはレンに対し、狂いそうな程の嫉妬を抱えていた時期があった。
過去のこととはいえ、命令であったからとはいえ、愛しい人を襲った事実はアスティスの中では変わらない。
レンもその負い目があるのだろう。
アスティスに対し、深々と礼をすると、すぐにも目線を逸らした。
「おい、アスティス!
どうなってやがんだよ、あの姫様は……!!
男装して社員食堂に紛れ込むわ、
細っこい腕の癖にやたら剣の腕が立つわ、
そこまででもビビってたのによ、今度は他国の市民を助けるために王族の身を利用して人質になるだと!?
そんな無茶苦茶な女、見たことも聞いたこともない!」
「そうだ……そんな人が躊躇ってやらないようなことを当たり前のようにやってのけてしまうのがティルアなんだ。
噂話というものがいかにいい加減なものであるかがこれでわかるだろう?」
「……アイリスやミスティームが言ってた通りだな。
すっげー嬉しそうな表情をしやがってよ」
ハムレットはチッと舌打ちをすると、後方に控えるレンの袖を摘まんだ。
「よし、行くぜレン。
その姫様、俺様も助けてやりたくなった。
おっかねえだけのミアンヌより、俺様はあの女の方が断然いいからな」
踵を返したハムレットと、付き従うレン。
「会議(そっち)は頼んだぜ」
背を向けたまま手を振ったハムレットに、アスティスは頼もしさを感じた。
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