4.過去(3) 2003年3月15日

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玄関の扉を開いて、そこからしばらく家の中を眺めた後、立ち上がった中西さんは大きく一つ頷いて、ぽん、と私の背中を叩いた。 「OK。これで持っていこう」 「はー。よかったあ」 大きく息を吐き出したら力が抜けて、思わず壁に両手をついた。 「ではここで四月の人事発表をする」 中西さんが作業部屋から歩き出して、大きな声で言った。 この事務所の社員はここにいる三名プラス二名の計五名だけなので、人事発表というとかなり大げさだ。 あわてて中西さんの後についていき、次の言葉を待った。 谷さんも高松さんも手を止めて中西さんの顔を不安げに見ている。 「四月から事務職の社員一名増員。谷さん、教育よろしく。斉藤さんは四月一日付けで建築模型作成担当にする。模型作成を他の設計事務所から受注することもありえるから、心して研究に励むように」 建築模型作成担当? 私がその言葉の意味を飲み下す間に、谷さんと高松さんがわっと歓声を上げた。 「どんな模型作ったんだよ」 二人してケーキも包丁もそのままに、作業部屋に模型を見に駆けつける。 「よくできてるなー」 「かわいいー。この赤い三輪車」 「木馬もなかなかリアルでいいね」 後ろから聞こえてくる声をくすぐったく感じながら、ようやく中西さんの意図がわかった。 いつもは設計図に細かく入れられていた指示――小物や生活用品などの配置――が、今回は最低限に留められていた。 三輪車も木馬もベビーベッドも、桜の木も、図面上にはなくて、写真や家族構成の情報から私が想像で加えたものだった。 これは中西さん流の試験だったのだ。 どこまで自分の力で模型を作り上げられるかが試されていた。 そう気付いたら、今更ながらに掌に汗が染み出してきた。 「玄関のドアを開けて中を覗いた様子が、設計図のイメージ通りだった。限られた期間でここまでできれば、まあ合格点だな」 中西さんは満足げに私に笑いかけて、グラスを傾けてワインを口にした。
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