5.過去(4) 2002年6月12日

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5.過去(4) 2002年6月12日

電話が鳴り出した時、粘土で作っているミニチュアの椅子に背もたれとして爪楊枝を刺しているところだった。 一時中断。 私は1/50の椅子を乗せたカッティングボードを少し脇にずらして、左手に受話器、右手にボールペンを取った。 「中西設計事務所でございます」 「橋本設計の守屋ですが、中西さんはいらっしゃいますか?」 「お世話になっております。中西はただ今外出しております。午後には戻りますが」 「ああ、そう……。実は頼まれていた図面をメールで送ったんだけど、なんか受信ボックスがいっぱいみたいで返ってきちゃうんですよ」 「あ。申し訳ありません。でしたら、私宛に送っていただけますか。私から中西にファイルを渡すようにします」 「そうしていただけると助かります。アドレス教えてください」 「はい。よろしいですか?」 「はい。どうぞ」 「エス、ユー、ゼット、ユー。アットマーク」 「アットマークの後は中西さんと一緒?」 「はい、そうです」 「オッケー。鈴木さん?」 「いえ」 私は思わず吹き出した。 「スズは名前です。斉藤です」 「あ、それは失礼しました」 守屋さんもそれにはウケたらしく、笑いを含んだ声で謝った。 「それでは、斉藤スズさん。今送るからこのままちょっと待ってもらえる?」 「はい」 すぐに新着メッセージを知らせる小さなウィンドウが画面に現れた。 早速受信ボックスの新着メッセージを開けると、CADのDXFファイルが添付されただけのメールだった。差出人のメールアドレスは、mori@hashi.……となっている。 橋本設計事務所のメールアドレスは、苗字の省略形になっているらしい。確かにこの法則だと、鈴木さん、も納得。 「今、いただきました」 「じゃあそれを中西さんに渡してください」 「はい。ありがとうございます」 「中西さんに、急いでるなら受信ボックスくらい空けとくように言っておいて」 「はい。確かに伝えます。申し訳ありませんでした」 笑いながら私は頷いて、失礼します、と言ってゆっくりと受話器を置いた。
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