9.過去(7) 2005年10月16日

3/4
前へ
/38ページ
次へ
お店を出た後、食べ過ぎて膨れたお腹を抱えて駅までゆっくりと歩く間は、食事中のことが嘘のように二人ともほとんど話さなかった。 たぶん、考えていることは同じだったと思う。 どんなに仲良くなっても、奇跡みたいに旅行先と職場で出会えたことをきっかけに恋をはじめてもいいなと思っても、タイムリミットが迫っている、ということ。 それを無視して勢いで感情を盛り上げてしまうには勇気が必要な年だということ。 この前、守屋さんが事務所に中西さんを訪ねてきた時、コーヒーを出しながら、私は彼の話を聞いてしまっていた。 彼は、勤め先である橋本設計事務所を退職してサンフランシスコに移住することを報告し、その前の挨拶をするためにやってきたのだった。 以前日本で行われたイベントで一緒に仕事をしたアメリカの企画会社の社長が、イベントだけではなく住宅やオフィス、公共施設の総合プロデュースを行う新規事業の立ち上げに際し、建築家として参加してほしいと声をかけてくれたのだそうだ。そもそも、九月にサンフランシスコに行ったのも、新しい職場や落ち着き先のアパートを見に行くためだった。 日本を発つのは、二〇〇六年一月十日。 もう、全て決まっている。 駅の明かりが見えた時、守屋さんが口を開いた。 「今日は付き合ってくれてありがとう」 「こちらこそ、ごちそうさまでした」 「いや、あれはあのご夫婦のオゴリだから」 頭を下げると、彼は首を振って、それから頭をかいた。 「なんか、おれ結構つまんないこと話しちゃった気がするけど、楽しかった?」 「楽しかったです」 私は大きく頷いた。 本心から。 ホントに楽しかった。 もう少し話してみたい、って思うくらい。 だけど、臆病者の私は、心にそっとブレーキをかけておく。 「もし、時間がうまく合ったら」 改札口の手前で、ためらいがちに守屋さんが言った。 「また今度食事に行きましょう」 「はい。また、今度」 私たちはそのまま改札をくぐったところで別れ、山手線の新宿方面と品川方面で別々の階段を登った。 階段を登ると、ちょうど電車の扉が開いたところだった。乗り込んで振り返ると、閉まる扉のガラスの向こうにホームに立つ守屋さんの姿が見えた。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加