Forget me. Then not.

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 パン屋を出て石畳の道の角を曲がると、労働者街の子供たちがアンドレアを囃し立てた。 「アンドレアがまた安いパンを買っているよ」 「アンドレアがつぎはぎのズボンをはいているよ」  泉の洗濯場の石壁の上からクスクスと笑う声が背中を追いかけて来た。アンドレアはフェルトの帽子を深くかぶり直し、自分の視界を狭くした。そして足早に丘の上の自分の家へ足を進めた。  大通りには四つの車輪がついた幌張りの機械が置かれ、ちょび髭を生やした太った男がビラを配りながら大声で同じことを何度も叫んでいた。 「さあ、みなさん。これはマッキナじゃない、アウトモビレという新しい製品だ。アメリカのT型フォードに負けない、我が国のアルファロメオという会社が造った。馬車や荷車はもう古い。これからは自動車の時代だよ」  その自動車とかいう機械からはガソリンとかいう新しい燃料の燃えた臭いが漂ってきた。ランプの油よりツンと鼻を刺す刺激臭を、アンドレアは好きではなかった。  日が落ちて薄暗くなり始めた道を登り家の門に着くと、アンドレアの伯父が玄関から出て来るところだった。伯父は仕立てのいいコートの襟を合わせながら声をかけてきた。 「遺産の件はだいたい終わった。本当にここで独りで暮らす気か?」  アンドレアは黙ってうなずき、玄関のドアの鍵を伯父から受け取り、そのまま伯父には目もくれずに家の中に入って行った。伯父はため息をついて独り言をつぶやいた。 「すっかり心を閉ざしてしまったか。両親を失くして、その上親戚連中の遺産争いを見せつけられたら無理もないが」
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