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「この曲を心から聴こうとした者にだけ伝わるものがあるのです。聞き流している者には分からない。そういう意味です」
マスターは煙草の煙を上に吐いた。
「伝わるものって。それは、シューベルトの心っていう意味?」
「そうです。その通り。心です。シューベルトが、どんな想いでピアノに向かったか」
マスターはタンブラーにミネラルウォーターを注いでいる。
「そんなことが分かるの? だって、内面の問題でしょ?」
叶恵は、また一口、カクテルを含んだ。
マスターも、ミネラルウォーターを飲んでいる。
「そうです。本当のところは誰にも分からない」
マスターは一呼吸置いて続けた。
「しかし、さっき叶恵さんは急に胸が締め付けられるような感じがすると言われましたね?」
「ええ。そうよ。なんとなくね」
「なんとなく伝わるもの。そこです。例えばシューベルトのアベマリアは余りにも有名ですから知らない者は居ないでしょう」
話をしながら、マスターは振り向いてボトルを手に取った。
「もちろんアベマリアは知ってるわ。シューベルトの曲だったの?」
ボトルの液体は計量され、シェイカーへと注がれる。
「そうです。この曲を聴いた誰もが優しい気持ちを感じると言います。いや、誰をも優しい気持ちにさせてしまう。シューベルトが稀代のメロディーメーカーと呼ばれる所以です」
マスターは別のボトルから同じように計量しシェイカーに入れてシェイクをはじめた。
「知らなかったわ。シューベルトって、凄い作曲家なのね。あたしはクラシックと言えばベートーヴェンぐらいしか知らないもの」
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