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ドアを開けた時、カランコロンと乾いた音が響いた。いつもの事だ。
その日、窓際のボックスシートには先客が居た。
ドアの左側には熟年カップル。右側には若い女性がこちら向きで座り、ノートパソコンを操作していた。
カウンター席には誰も居ない。
僕はカウンターの左端へ腰を降ろした。
「だから、あなたは煮え切らないって言うのよ!」
女が強い口調で告げ、テーブルを叩いた。
その声に驚いて、僕はボックスシートへ眼をやった。
「い、いや……急にそんな事をいわれても、あれだし、弱ったな」
男は口ごもり、女から眼を逸らしている。
何があったのだろう?
「いらっしゃい。今日は早いのね」
ママが笑いながら顔を出した。慶子さんの笑顔は素晴らしい。人の心を和ませる力がある。
「ええ。予定の打ち合わせが延期になったんです。いつものコーヒーをお願いします」
僕は、たばこをつけ、カウンター席から二人のやりとりを見守った。
「ほらね。そうやって、ごにょごにょ言いながら今だって眼を逸らしたでしょ! 眼を逸らすのは誤魔化そうって気持ちがあるからよ。そういう態度が男らしくないって言ってるの!」
「いや、君の思い違いだ! 私は初美なんて女は知らない」
見かけない客だ。僕は会社帰りによく立ち寄るので何となくわかる。
「まあ! この期に及んでシラを切る気? 初美と腕を絡めて歩いてたじゃないの! じかに見たんだから間違いないわよ! とぼけてんじゃないわよ!」
女はいきりたって男を睨んでいる。
よくある三角関係か。もてる男はつらいね。いや、そうじゃない。そういう状況をつくってしまうのは計画性がないからだ。
窓の外は夕陽に染められている。
しかし、思い通りに事が運ばないのが人生だ。予期せぬ幸運に恵まれる事もあれば、思わぬ不幸に翻弄される事もある。
「ハッキリしなさいよ! 初美を取るか、あたしを取るか!」
出た! 女の決まり文句。きっと地球上の女はみんな同じことを言うのだろう。
「よく聞いて! もう一度、言うよ。君は記憶が途切れている。ハッキリ言います。痴呆症……いや、認知症です!」
「にんちしょう……何なの、それは?」
「記憶をなくす病気です。私は城太郎ではないし、初美なんて女は知らない。そんな事で揉めるような歳ではない。君も、もう若くはない」
えっ? どういう事だろう?
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