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薄闇の中で一人佇む彼女は、こちらを振り向く態で吐き捨てた。
『マスターに返した指輪、もう私に戻さなくていいから』
何故、と訊き返す間もなく次の台詞も抑揚なく続く。
『だってマスター、付き合ってみたらイメージと全然違うんだもの。
もういい加減ウンザリ。終わりにしようよ。さよなら』
かつては去られても決して追い掛けなかった女の背中を初めて追い掛ける。
待ってくれ。
声が出ない。手を伸ばしても鰻を掴むようにすり抜けられる。
せめて追い付きたいと願うが、どれだけ足を前後に動かしてもちっとも前に進まない。
「あやのっ!!」
そこで世界は切り替わった。
薄闇の中で叫んだ名は現実でも発せられていて―――いわゆる寝言に、同じベッドで眠る彼女が起きなかった事も併せて、保志沢は安堵の息を吐いた。
「……夢…」
まだ心臓がうるさい。
癒しを求めるように、隣で寝息を立てるあやのの頭を撫でた。
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