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「必要書類はお持ちですか」 受付の女性に尋ねられて、僕は鞄から四枚の書類を出した。女性はそれをパラパラとめくって確認すると、座って待つようにと言った。役所は空いていて、僕の他には半分眠ったような顔でベンチに座る老人がひとりいるだけだった。僕は少しだけ迷った後、その老人の隣に腰を下ろした。老人というのは話し好きな生き物だから、もしかすれば僕の最後の話し相手になってくれるかもしれないと思ったのだ。 「君は何になるのかな」 思った通り、老人は僕が腰を下ろすとすぐに口を開いた。顎の肉が細かく震えて、寝言のようなもやもやした声だった。 「僕は――まだ決めていません」 それは本当だった。僕は書類を出してしまってもまだ、人間をやめて何になるか迷っていたのだ。それなら、と老人は言った。鳥になりなさい。わしの息子の息子もお前と同い年くらいに鳥になったから。そう言って、それから何かむにゃむにゃと付け加えた。が、それは聞き取ることが出来なかった。 僕は老人の言葉には答えず、自分のつま先だけを見ていた。老人と話をしようと思ったのは失敗だったなと思い始めていた。そもそも僕は、こういうことが苦手で人間をやめることにしたのに、すっかりそれを忘れていたのだ。やはり、どうやら僕は緊張しているらしい。老人はまだ何か言いたげだった。が、口を開くよりも先に受付の女性が「谷口さん」と声を上げた。この場には僕たちしかいないので、それが老人の名なのだとわかった。 「それじゃあ」 老人が立ち上がる。見た目とは裏腹に、しっかりとした足取りだった。女性が何か説明しているのが聞こえる。老人が受け答えしているのも。それらを極力シャットアウトしようときつく目をつむった。耳を塞ぐほどの勇気は無かったので、必死で頭のなかを空っぽにした。結果として頭が空になることはなかったが、頭を空にしたいという意思でいっぱいになってくれたので、彼らの話し声が届くことはなかった。ここに至っては僕も認めざるを得なくなってしまったのだ。やはり、人間をやめるのは少しだけ怖い。
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