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台所にいるだろう母に言う。
「ちょっと出かけるから先にご飯食べてて良いよ」
「あら、そう? 気を付けるのよ」
「はーい」
サンダルを歩きがてら履き鳴らす。扉を開き、外に出れば後輩の姿はない。先に向かったのだろう。水着を着ろと言うのだからなんとなく分かるが、真っ暗な今は寒いし危ない。幾ら浅くてもだ。
夜道を歩き、塀を辿る。夜なのもあり人はいないが、はたと気付いた。水泳部に染まり過ぎて水着であるのを忘れていたのだ。羞恥心はやはり薄まっている。水着に外套とはなんて格好だ。靴下を履かなかった足は冷えたが、涼やかな程度。
空には紫色が広がり、月が丸々と黄色い。
車の通らない道を歩き、塀に水着姿で仁王立ちした。真っ暗な海に身体を向け、腰に手を当て堂々と後輩はいた。外套もなく、ゴーグルと水泳帽子を装着した後輩だ。
足音で私が来たのを知ったのだろう。
「私と、先輩の夢を叶えましょうよ」
「仕方ない後輩だ、本当に優しい後輩」
「先輩だって同じです」
私も塀を上がり、立ち上がる。外套を脱ぎ、塀にかけた。夜の海は暗いが、暗黒でもない。今日は月で明るいし、町の光がちらほらとしていた。
首に落としていたゴーグルを引き上げ、両手で整える。
「じゃ、いっせーのー」
「せっ!」
後輩に合わせて私は砂浜に飛び込み、薄く水の張った足元を踏み締めた。二人で走り、深手に向けて水を掻き分ける。胸元まで着水した。冷たくで鳥肌も立つが直ぐになれる。身体を浮かし、浮力で浮いた。
後輩も真横にいて、反転して空を見上げる。水面で浮かびたゆたう。出来ればずっといたい。水の中にいたい。息が続く限り、泳がずにいたい。私はまたそう思った。
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