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遠藤は驚愕に目を見開き、勢い良くばっと顔を上げた。
今の言葉は遠藤のものではない。だが、一人暮らしの遠藤にとって他に言葉を発するものがいるはずがない。居てはならない。
さらに悪いことに、遠藤にはその声の主として思い当たる相手を知っていた。雷鳴のように低い、中年男性の声。
奇しくも、初めて聞いたときもこうして〝いるはずのない場所〟から声を掛けられている。
「……なんで、ここに居るんですか? 不法侵入っていうんですよ、そういうの」
「さあ、俺も来たくて来たわけじゃないんでな」
二度目の声は、背後から聞こえた。
振り返ると、壁に寄りかかるようにして、胡散臭さを全身から漂わせる男が立っている。遠藤に『幸福の天秤』を渡した張本人、いつかの怪しい露天商だった。
「今日はお客様アンケートだ。幸福の天秤もようやく仕事を終えたことだしな」
飄々たる口ぶりで、男は事もなさげに言った。
遠藤も、何故かこの男がこの空間に定着していることが不思議ではなく感じてきた。
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