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「それはお生憎様ね。私は長い間思慮した結果、人生など高々八十年の一回のみなのだから、例え失敗したところで後悔はあっても構わないと思ったの。人生一度限なのだからって台詞は、耳に胼胝ができる程聞いたけれども、最近になって漸く本当の意味で理解する事が出来たのよ」
そう言って咲空は目を瞑った。
「しかしそうは言っても、小説家になりたいと言うからには、さくらにも有名になりたいとか後世に名を残したいからといった理由があるのだろう?」と律は尋ねた。
「ーーいいえ、目的なんてないのよ。それもまた最近考えていた事なのだけど、例え死ぬ前に後世に名を残す様な事が出来たとしても、死んでしまっては確認すること等出来やしないじゃない。シュレディンガーの猫の様に矛盾が生じた挙句、そのブラックボックスを私達が開けることは出来ないのだから、結果は何処にも存在し得ないのよ。
それに加えて、一体この世界の何が現実で虚構なのか、区別することが出来るかしらーーその様な事は不可能なのよ。認識とは不確かな物であって、今目にしている物も感じている事も、全ては虚構かもしれない。平たく言えば、ある日突然うさぎ穴から転がり落ちてしまう様に、別の現実が突き付けられることになるかもしれない。その様な世界では、目的など何の意味も成さないわ。
結局のところ人間にとって死、それだけが行き着く先よー…」と咲空は囁く様に言ったが、それは殆ど独り言の様なものだった。現にノアは、途中から居眠りを始めていた。
「その回答は尤もらしく聞こえるけど、受け入れられないな。だってその様に結論付けてしまったら、全てを否定し兼ねないじゃないか。口で言うのは容易いけど、現実はもっと不規則に変化するものだし、感情部分の問題を抜きには出来ないだろ。……しかし結局のところ、さくらはただ気の趣くままに生きたいと思っているだけ、という事なんだろうけど」と律は首を捻った。
「そうね。私は唯、自分の魂の在るが儘に従って生きたいと願っているだけよ。のあちゃんの様にね」と言い終えると、隣で顔を枕に突っ伏して、何時の間にか熟睡しているノアを見つめて穏やかに微笑んだ。
「ところで、律は百人一首の歌の中で清少納言の詩を覚えている?」と咲空は不意にそう言うと、顔を上げて律を見遣った。
「そういえば、先日の競技かるた大会の学年一位は、さくらだったよな。残念ながら僕にはさっぱり。どの様な詩なんだ?」
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