第2章

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 鴇沢希空は、例えるならば鳥の様な人物であった。  その魂は放縦(ほうじゅう)ながらも強靭(きょうじん)であり、彼女の両親も咲空でさえ、命ずることは(おろ)か束縛することなど出来なかった。  多くの人は口々に、その様な彼女の振る舞いを浅薄(せんぱく)で愚かだと囁いたが、咲空の眼に映るその姿は、早春の澄んだ空を悠々自適に舞う鳥の様で、彼女はただ羨望の眼差しをもって、それを振り仰ぎ見ていた。  中学三年生に進級した当時のノアは、以前と比較して勉学の成績が(かんば)しくなく、中学校を卒業した後は定時制の高校に進学する予定だった。日記には勉学等という瑣末(さまつ)な事柄には興味がなく、唯ひたすら全力で夢を追うのだという意気込みが綴られ、活き活きとした文章が続いていた。  しかしその一方で、咲空の日記には例え勉学の成績が芳しくなっても、姉と兄というより秀逸な存在の前では、自分など無価値に等しいのだという想いと、何より小説を書く時間が取れない事への葛藤が綴られていた。  そうして高校一年生の春、第一志望であった――兄弟二人が通った――高校に合格することが出来なかった事で、以前にも増して家族から空気の様に扱われることになった、日々の息苦しさと孤独とが、鬱屈と綴られていた……。  咲空は明りを付けずに薄闇の中でベッドに横たわり、震える手で日記を読み進めていたのだが、ふとその日記にすら綴ることが出来ず、暗い水面(みなも)に沈めた一連の出来事を思い返した。  それは高校二年生の夏、蝉が昼夜を問わずにけたたましく鳴いていた、うだる様に蒸し暑い夏の夜の出来事だった。  その当時は、最も咲空が家庭の中で居心地の悪さを感じていた頃だったが、尤もその原因は勉学に()いてのみならず、他の兄妹と異なる内向的な性格にあったのだという事には気が付いていた。  生後四年間をイギリスで過ごし“Naughty boy”と呼ばれていた兄と、周囲に合わせて要領良く立ち居振舞う才色兼備な姉に囲まれた環境の中では、主張する隙など何処にも在りはせず、従って自分が内向的な性格に育ってしまった事は必然だったのではないかと思う時も一度ならずあったが、彼女はそれすらも主張することはなかった。
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