第2章

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 夜半過ぎのことだった。  蒸し暑さから寝付けなかった咲空は、明りを付けることが億劫で、薄闇の中を手探りで階下へと下りていった。しかし中段の辺りまで来ると、一階の居間から明りが洩れている事に気が付き、自ずと足は歩みを止めた。  耳を澄ますと、母と姉の談笑している声が聞こえてくる。  何でもない日常、それなのにまるで警告とでもいう様に、こめかみに鈍い痛みが走った。けれども足は再び動き出した。音を立てず、存在を気付かれないように。そうして躊躇いながらも居間と廊下とを(へだ)てている、薄い木製の扉へと(にじ)り寄り、耳をそば立てた。 「ーー私ね、以前から疑問に思っていたことがあるのだけれど、聞いてもいいかしら」と姉は、甘ったるい猫撫で声で話を切り出した。  そうして直ぐ様、母親から無言の了承を得られたのか、勿体ぶった物言いで言葉を続けた。 「ほら、我が家には私とお兄ちゃんと咲空の三人子供がいるでしょう。別に今の暮らしに不満がある訳ではないのだけれど――立派な一戸建てに住めて、部屋も各々に与えられている上に好きな物も買って貰えるしね――けれども時折、三人も必要ないのではと思うの。十六歳を過ぎてから、将来結婚した後の事について色々と考えることが増えたのだけれど、男の子と女の子が一人ずついれば充分じゃない?金銭的にも心労的な意味合いにおいても。まあ要するに、何故お母さんが子供を三人も産む気になったのか、という事を聞きたくて」とそこまですっかり吐き出すと、漸く姉は口を(つぐ)んだ。  咲空は肌に纏わり付く様な蒸し暑さからか、それとも彼女達が言わんとしている事の核心の残酷さを察知したからか、気の遠くなるような心持ちで、息を潜めて母親の言葉を待った。 「そうね、正直なところ私にも想定外の出来事だったのよ、咲空を身籠った事に関しては」と言って母親は、軽く笑った。 「堕胎手術を受けるという考えはなかったの?大学でジェンダーの講義を取ったけど、患者は若い女性だけではなく、寧ろ子供を既に持っていて年齢もある程度取った人が多いと聞いたわ」と姉は平然と尋ねた。 「まさか。他人はどうあれ、世間体というものがあるし、第一殺し等という罪を私は背負いたくないわよ」  母親がつまらなそうにそう言い終えるか終わらない内に、咲空は物音一つ立てず、逃げる様にその場を立ち去った。
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